また、久々の投稿となってしまいました。
8月の税理士試験の後、気持ちを入れ替えての再出発と目標としていた「100キロマラソンラストラン」などもあり、ブログからも遠ざかっていました。
その後、応援している方々が挑戦されたCFP資格審査試験や行政書士試験が終わり、久々にブログを書こうと思い、机に向かいました。
近況も交え、記してまいります。
(長文、ご容赦ください。。。)
1.税理士試験の学習
合格発表は11月30日ですが、「見るまでもない」結果ですので、試験終了後からスタディング社の相続税法の継続受講と、2科目目は法人税法ではなく固定資産税を選び、9月から大原様のWEB講義のお世話になっています。
相続税法は講師が交代されていましたが、新しい講師の方は試験対策だけではなく実務での事例も交えながら丁寧に解説いただき、多くの気づきを得ています。講義時間は前任者と比べ倍増。タイムマネジメントも必要ですが、前向きにとらえています。
また、大原デビューとなった固定資産税の講義は、伝統校らしい「格」を感じます。
カリキュラムも整理され、苦手の理論もほぼ週一のミニテストや教育訓練給付金取得に必要な「確認テスト」での対策を通じて自分なりにあがいています。
総じて、ちょっとした思い違いやミスが大きな失点に繋がることを身を以て体感しています。
それでも、進捗は「課題はあるが、まずは順調」ととらえています。
2.CFP資格審査試験
2019年11月に6課目同時受験してからちょうど4年。時の経過の速さを実感します。
わたしにCFP受験のきっかけを与えてくれた会社&大学の先輩がこの11月の本試験で、ラスボスの「金融資産運用設計」を受験されました。
この先輩は、わたしがCFP資格を取得後に20年ほど遠ざかっていたこの資格への再挑戦を決意され、2021年6月より1課目ずつ確実に合格を積み重ねてこられました。わたしからも、このブログでも紹介した「虎の巻」などの【秘伝】や試験受験にあたっての極意(のようなもの)を可能な限り伝授し、支援をいたしました。
ご本人も、難関の「金融」では直前まで合格できる気がしなかったそうですが、本試験では自己採点33/50点と、CFP全課目合格をほぼ手中にされたようです。
ご本人も、通信講座での質問チケットをフル活用しながらの学習と、わたしから授けた解き順、時間配分も参考にしながら、今回の結果に繋がったようです。
うれしかったのは、「時間切れでまともに解けそうでないときの4択のマーク方法」について試験前日に授けたアドバイスで、「ドンピシャ」での正解肢を当てて合格を確実にする「1点」を積み上げたことでした。
受験会場が、わたしが2021年の行政書士試験で合格を勝ち取った「日大神田三崎町キャンパス」であったことから、「合格場所ですね」と励まし、力になれたことが何よりでした。
そのCFP資格、残り9か月で現在20単位(残り10単位)。
土曜に古巣横浜での継続教育会受講と、久々のFPジャーナル継続教育テストなどで、税理士試験対策であわただしくなる前に所定の30単位を揃えます。
3.行政書士試験
2年前の試験で合格しましたが、通信講座で懇意にさせていただいた方やブログでのフォロワーさんが受験されることもあり、受験生でもないのに当日はそわそわしていました。試験当日の早朝に、近くの神社で懇意にさせていただいている方のお名前を神さまにお伝えするなど、ひたすら幸運を祈りました。
実際の問題はまだ目にしていないのですが、各校での解説会や講評を確認した限りでは、法令科目が難しかったようですね。
憲法と行政法、高得点はSNS界隈でも確認できておりません。(憲法は、初回受験の2020年も難しかったですが、今回はそれ以上だったみたいです。)
それでも、民法や一般知識で得点を挽回された受験生も見られたようです。
(民法や一般知識での「満点」もいらっしゃるようです。)
この試験は、科目ごとに難易度は毎年上下するので、苦境に陥っても粘り強く取れる問題での得点を確保して合格点に近づいていけるかどうかがとても重要だと改めて思いました。
応援している方のほとんどは「記述待ち」となっています。
わたしも合格年は記述待ちで(残り16点)、合格発表日までが長く感じましたが、振り返りを終えた後はやるべきことを頭の中で整え、次へのステップに進んでいきました。
「どきどきできること」は、見込みがある方のみが味わえるもの。
「凡事徹底」で、運を引き寄せる習慣も大切かな。。。と、個人的には思います。
4.100キロマラソンラストラン
さかのぼりますが、9月最終日曜日に「100キロラストラン」として、「秋田内陸リゾートカップ100キロチャレンジマラソン」に出走しました。
これまで100キロマラソンは29回完走。特にこの「秋田」では大会完走20回完走者にのみ与えられる「サファイアランナー」の称号を2019年大会での完走により獲得したのですが、コロナ禍の影響による2年の中止と2022年大会での練習不足によるエントリー断念もあり3年間のサファイアランナーデビューのお預け。
3年のブランクの間に、取り巻く環境の変化と体力面も考慮して、「100キロはこれが最後」と心に決めて出走しました。
しかし、スタート直後から、2週間前に違和感を感じた右かかととアキレス腱に痛みが走ったことと、50kmエイドからのリスタート時にももが固まった上、暑さから両指と腹筋のしびれ。60km過ぎでいったん持ち直したものの、63kmあたりの下りでももが再び固まり、あとは68.5kmのエイドまで歩いてリタイアしました。リタイアは26年ぶりでした。
直前にかかとの痛みやふくらはぎの肉離れはありましたが、やっはり100kmは「練習量」と「レース感覚」が大切と思いました。それでも、整えきれなかった中での自分なりの走りについては悔いはありません。
レースではとても奇遇な出会いがありました。「サファイア」ビブスに「葛飾区」と記入していたので、葛飾区の方から2度声を掛けられ、しかも、そのうちのひとりはわが家のご近所さんでした。ひとりとは走りながらの固い握手、もうひとりとは苦しいはずの大覚野峠でご近所のことで盛り上がり、力をいただきました。
100キロはやりきった感があるので、負けて悔いなし。
大会当日に痛めたアキレス腱は、週に一度近くの整骨治療院で電気治療と整体による治療を続けていますが、まだランニングの許可はいただけておりません。
来年3月の東京マラソンでの復活ラン目指して、あせらずに努めます。
5.全日本大学駅伝
実は、母校が11年ぶり16回目の出場を決めたため、11年ぶりに現地応援に足を運びました。
学生時代には「あと一歩」で出場権を獲得できず、くやしい思いをしましたが、大会前夜に年代の近い陸上部のメンバーが集まり、当日は電車を乗り継ぎながら、スタート地点、3区、5区、6区、7区、ゴール直前で声援を送りました。
関東以外の大学ゆえ「全日本」が最大の目標でしたので、思い入れの強い大会。
スタート前の各校応援団の大声援、独特の緊張感。忘れかけていたものをかきたてられました。
優勝争いよりも「まずは」母校。
成績は序盤出遅れましたがアンカー直前までは母校最高成績も期待できそうな盛り返し。アンカーがあと一息のところで及びませんでしたが、11年ぶりにいい夢を見させていただきました。
【終わりに】
3か月ぶりの更新となったため、ためていた思いを吐き出すように長文となってしまいましたことをご容赦ください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
まとめながら、「節目の日」にいろいろと経験できた3か月だったと思いました。
振り返り、物事をたな卸しながら、次への課題と気づきを得ることも大切ですね。
また新しい一歩を刻んでいきたいと思います。
<完>