私がやる理由
を見つけるために
私にしか出来ないことを
追求してきたんだと思う。
宇宙に 意味 なんてものはなくて
1つ1つの出来事に因果関係もない。
そう、意味なんてない。
だから、大きな視点で見れば
私がやる 意味 もなければ
私じゃなきゃいけない 意味もない。
意味付をするのはいつだって人間。思考。
宇宙からしたら、
ただそこにいたから。
ただそれを実現出来る存在だったから。
ただそれだけ。
それに気づいた時、
いくらでもこの身を使ってと
明け渡せれば良かったのだけど
今回は出来なかった。
(明け渡すというのは、乗っ取られるのとは違う)
愛と恋の進化論で
サレンダーした時とも違う。
演出のやりとりで
ワクワクしなくなって
少し前からあった
それなら私がやらなくていいですね
という気持ち。
それをリアルタイムで伝えながらも
いい具合に折り合いつけて調整してた。
そう、折り合いつけながらって
完全に妥協。
私は成功させるのがゴールだから
いらないプライドは捨てる
と、自分の気持ちを押し殺して
断るところは断りながら
自分より偉いとしてしまっている
その存在の提案を飲んだ。
ナメられようが
何しようが
最高の舞台を創り上げること。
そのためなら自分が全部やりたいというプライドなんて必要ないと思った。
だから周りも 成功させるために
動いてくれた。
だけど、そのゴール設定がそもそも間違い。
成功するために気持ちを押し殺したら
例え仕上がりが良くても
例え すごく良かった! と言われても
私にとっては最悪の記憶にしかならない。
自分を裏切ってまで出来ない。
昨日の夜まで
色々考えている時は楽しかったけれど
今朝、全くワクワクしなくなくなってることに気付いて、このままじゃ出来ないと思った。
最終的にはやるだろうし
上手くいくことも分かっているけれど
今は出来ない
やりたくない
それが本音だから
時間が無いとか
誰かに迷惑をかけるとか
全部抜きにして
1度立ち止まります。
どうせ止まらなきゃいけなくなるなら
早いほうがいい。
今日は偶然急遽守護神wふーみんに会えることになって、号泣直後の顔で全部話して、くだらない話しもして、少し元気でた。
隣駅に行く気力もなくて
家からタクシー。
わざわざ遠回りな海を通って
私はイベントをやる時
お申し込みのタイミングとか
その他いろいろをみながら
どんな人がくるか
どんなエネルギーになるか
ある程度計算して
極に偏らないように
じゃあその対極のものを
どう取り入れておこうか
こうなった時にどう対処しようか
と考えます。
だけどそれは時に
極に引っ張らなきゃと
体を張ってしまうことがある。
誰かのために
イベントを成功させるために
etc...って。
だけどね、
自己犠牲の上に成り立つものには
限界があって
一番の結界は
ワクワクすること。
それ以上のものは無い。
それは、この前のパーティでもハッキリと自分の経験として体感したこと。
だから私は立ち止まって一回整えます。
必ず上手くいくのだから
今このタイミングを逃しちゃいけない。
演出を考えていたあのワクワクと
興奮が蘇るまで。