今日は市の商工会が発行する
商品券を求めて
父とお出かけ。

⭐️KEIKOのブログへようこそ⭐️




1万円に対して12000円分の商品券と交換!
1人3万円まで。
3万円にたいしては、6000円がお得になる!



商工会の前ではパーキングには入れない車が
他へと移動。
玄関前には長蛇の列😵


父を車で長時間待たすわけにもいかず
この時間と労力の無駄に
あーやっぱり来なくても良かったなぁと
お買い物に向かう。



杖をつきながら
スーパーのカートのところまで行くと
杖をそこへ刺して
手押し車を支えにするかの様に
売り場をゆっくりと回る。


これが父とのいわばデート💕🤣


「これ、好きよな〜」と話ながら
レーズンの入ったバターロールをカゴへ。

「お昼のラーメン用のチャーシューもな」

あれこれそう話しながら
カゴの中は食べたい料理の材料で
埋まっていく。


祖母の好きだったおはぎを見つけると
「バーバはこれが好きやった」
と、カゴへ。



最近は年配のご夫婦でカートを引きながら
お買い物をされているのが目につく。


なんやかんや言いながらも
互いの事をわかっていて
無意識に思いやりながら
日常の買い物をするのは
なんて素敵なんでしょう。



今日の中津川の街は
栗きんとんを求めてか
人がいっぱい。

『すや』さんの店内もいっぱい。
『川上屋』本店さんの前にも車が詰まってる。


駅前の市営パーキングは満車で
入り口には列が出来ている。


飲食店の前にも列ができていたりして
普段と違う混み具合に
困惑しながらも
中津川に人が来てくださるのは
嬉しい事です💕




結局、父の買い物リストの残りの一品を求め
別のスーパーへ。
いつもの倍の時間をかけて
帰って来た。


車の振動があるたびに
帯状疱疹後遺症の神経痛にひびく。

私も慣れた道だから
マンホールの段差などを避けながら
運転する。

それでも買い物に行きたい時は
一緒に出かける。



留守番の母は
認知症は始まっているけれど
痛いところもなく
歯はすべて自分の歯で
歩きも達者。

この父の神経痛をいつも可愛そうだ
と嘆く。


『私はお陰様様でしあわせ。
けどじーちゃんの痛いのだけが可愛そう!』


この言葉を何度も何度も聞かされる。
私はしあわせ
けどじーちゃんは可愛そう?


確かにそれがなければ
一緒に頻繁に遠出ましたかもしれない。



94歳
この固まった思考の母に
話をしても理解できないだろうなぁ
聞いても忘れるだろうなぁ
とわかっているけれど
今日は母に話してみた。


確かに、神経痛さえなければ。。
と、父を思う気持ちはわかるけど
では、あなたのその感情は
どこから来ているものなのか?
何かそれに対して行動したのか?


私はしあわせで貴方は不幸

多分、こう思っている限り
父は可愛そうな人で終わるでしょう。


父は可愛そうな人ですか?
88歳ですよ。
寝たきりでもなく 頭はしっかりとして
本を読んだりできて、食欲があって
母を諭してくれたり心配してくれたり
豪雨でも荒屋でも
ここに変わらず住めている。

それのどこがかわいそうな人なのか?

仮に痛みがなかったとして
あなたを自分の運転でどこかに連れて行ってくれるのか?
あなたが行きたいところは
果たして父が一緒に行きたいところなのか?
自分も、もう94歳ですよ。


私がしあわせ
と感じるその理由は
この父と出会えて
今こうして普通の生活が出来て
話が出来て
日々、笑って過ごせることで
子ども達はそれぞれが
自分たちで暮らせて
親を恙き様に最後を送らせる仕事が
やれる事。



母にも嘆く事よりも
出来ていることだけ見て
あーー有り難いなぁ
あーー良かったなぁ

って
今、ここの
ある事
を愛しんで
残り少ない地球生活を過ごせないものか?と。


それは
この地球の肉体から離れるその時に
魂がすーっと光に帰れるよう
私の学びになっている。




さもない日々の暮らしのなかに
様々なコントラストがある。
それを
偏って悲しまず
あーそーなんだと受け入れた時
穏やかな気持ちがじわーっと広がる。



ひ孫の顔まで見られて何の不足があるのか?




帰ってくるとすぐに
祖母の写真の前におはぎを供える父。

仕事のなかった私も
今日はそろって昼寝〜🤣



3時のおやつには
3人でおはぎ。



この2人の人生に向き合うのとは別に
私自身のシナリオを執筆中❣️


昨夜は久しぶりによもぎ蒸しをして
なんだか下からじんわりと
穏やかです。



小さくても甘いこのイチジクを楽しみに
半世紀以上季節を味わってきた。


今はこの巡る季節の豊かさを
日本全国にあるこの財産を
守って次へと渡していくこと。


見えないところで渦巻く様々な事象にも
自分の居場所さえ揺らがなけば
何にも惑わされずに
居られる。

気が付きさえすれば。


そーゆーの
とは
本や教祖様に手立てや方法を求めること。


私がしてきた事。





その本を読んで
求める必要がないと気がついた時に
本当のその本の言っている事が 
身に起こってくる。
やっと本が読めたと思える。


自分では何もできない事や
自分には特別なものなど無いことや
ゲスでしたたかでだめだめなことに降参して


それでも、自分と向き合うことをやめなかった
その軸に対して
見えないもの達の応援のチカラが注がれて
はっとした気づきが起こる。


どこまでも
ただ、気がつくだけかも。



*******************
 ブログよりも気軽で発信の頻度が多いLINE@!
お友達登録宜しく😊

友だち追加


Instagramも宜しくね❣️
 
face bookはこちら❣️