去年、私は約9年利用していたX(旧Twitter)のアカウントを削除した。

削除してもとりあえず1ヶ月はアカウントが残っていると聞いていたが、

そのまま忘れて完全に削除された。

今と違い、Xはかなり利用していた。

私の生活の一部と化していた。

 

エナツのブログを読んでくださる方がいたら、お気づきかもしれない。

私はアニメ・漫画オタクでした。

今は見たり読んだりする時間がなくて、ほとんどアニメや漫画を見なくなってしまったのだけど。

当時は好きなジャンルの絵をいっぱい描いた。

(下手の横好き)

それらをXにUPして、同じ仲間と共有しあっていた。

 

でもいつしか苦しくなってしまった。

気づいたらいいねが欲しくて、適当に描いた絵ばかりを投稿していた。

「適当に描いても誰かが反応してくれればいい。

とにかく早くいいねが欲しい」

とばかり考えていた。

最初は一つのいいねでもすごく嬉しかったのに、だんだんといいねの数にこだわってしまう。

そして他の絵師さんと比べてしまう。

絵の上手さも、フォロワーの数も、いいねの数も・・。

苦しいのにいいねが欲しくて投稿をやめられない、ツイートを追いかけるのもやめられない・・・。

悪循環が3年くらい続いた。

(9年と言ったけど、放置していた期間もあった)

 

娘を出産してから、絵を描かなくなった。

時々子育てのことをツイートして、反応をもらえるのが嬉しかった。

だけどXへの執着はだんだんと薄れていった。

そして去年、職場で休憩中に、まるで神のお告げかのように

「今だ」

と思い、Xのアカウントを削除。

Xへの執着を断ち切った。

 

先日このことを思い出し、どうしてXから離れることができたのだろう。と考えた。

子育てに忙しかったのもあるだろうけど、

やっぱり自分で自分を認める思考が、少しずつできていたのだと思う。

Xで苦しんでいた当時は、今以上に自己否定の気持ちが強く、誰かの賞賛をとにかく求めていた。

それは現実世界でも、Xの世界でも。

でも今はSNSで賞賛を求めようと思わなくなった。

このアメブロでもいいねの数は気にならなかった。

(多少は気になるけれど)

 

そっか、これが過去の自分と比べることなのかな。

日々生きていると、自分のできていないことばかりに目がいってしまう。

だけど、できていることがあったじゃん。

頭の中で考えているより、紙でもアメブロでも書いていれば見えてくることが多いな。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

ではまた。