娘も息子も私立中学校で不登校になり、
どちらも中高一貫校を卒業できず、
息子はFラン大学で、
娘は進学予定だった付属の高校ではなく、通信制高校へ。
それが今息子、娘の辿りついた現在地。
元々、親戚や近所ママ等との交流が全くない私にとっては、
「(子ども達が)どちらに進学したの?」
と聞かれることも無く、
コロナウィルス蔓延による外出自粛などもあり、
私の風貌もものすごく変わっているので、
知り合いもこちらからは分かっても(私が困るから声かけたりしない)、向こうから声をかけられることもなく、
私は、世間的な目を気にすることない環境にあります。←忍者な気分。心地良い。
しかし、一般的に私立中高一貫校に入れるというのは、明らかにその先の、世間体的に聞いてわかる大学を目指すのが当然であって、
東大とは言わなくても←そもそも無理
世間体第1大学に子ども達が入ってくれたらなぁと、
旦那も私も思っていたのは、間違いないです。
でも、子の不登校を経験し、
いろいろと学ぶことで、
価値観が変化しました。
特に、私はコンプリメントトレーニングを受けたので、子どもをよく見るようになり、
子どもの持つ、いろいろな性質·性格·考え方·行動·など
世間の基準でなく、親がいいなと、感じたことは、どんなに小さなことでも、
「その子の能力」となり、
その能力やその子の備わっているものや変化してきたことなどを、
親自身が子に見出して、
気づかせて、伸ばして、活かして、
自分以外の人のために活躍して貰いたいと
思うようになりました。
そして、ささいなことでも子ども自身が
「体験する」
ということがとても大切だとしみじみ感じます。
そのためには、自分の意志で決め、エイヤっと飛び込んでいく勇気を育ててあげること。
(世間では小さな成功体験というのでしょうか。私としては、子どもが自分自身に納得することかなと思っています。)
そして、子どもたちがそうできるようになるには、
家庭という安全地帯で、
できる限りのエネルギーを貯めさせる。
そのエネルギーを貯める環境を整えるのが
親の役目かな、と。
就職するには、有名な大学、とか有名な高校とか、成績が上がった下がった、勉強するしない、など、世間一般の基準とは一線を置くようになりました。
元気であること、
自分自身に納得がいくこと、
それがあれば、なんとかなるさ。
むしろ、どうなるのかが楽しみ。
若さに期待。