息子→通信制高校からの大学2年生。
ゲーム。パソコン好き。昼夜逆転が得意。
娘→通信制高校の1年生。
ゲーム、アニメ、二次創作小説、哲学好き
私→2人の子の母ちゃん。
アニメ読書ブログ好き。


娘。


職業体験旅行に行っているわけですが、、



通信制高校に入ってから、



何か、進路進路とうるさく言われて、



ゆったりすることがないような感覚に



「私が」落ちいっています。




確かに、通信制高校で大学進学を考えようとすると、



総合型選抜、推薦型選抜を使って進学と学校が考えることが多いし、



実際、成績もある程度の学力があれば、全日制高校よりも絶対通信制高校の方が良くなる。



総合型や推薦型の選抜で大学に行くことを考えると、


学校の高い評定平均

出席率

ボランティアや部活や研究などの活動実績

英検の取得(資格の取得)


が求められるから、


当然1年生から頑張れ、

早いところ大学のオープンキャンパスへ

できたら、進路を早めに決めて


と逆算から考えて


なんか息苦しくない?


と私は思ってしまう。

(娘はどう思ってるのかな。めんどくさそうではあるけど。)



この前、ユーチューブだかテレビだかソースは忘れたが、


本当かウソかは定かでないが、



日本で将来のことをこどもに聞くとき、


幼稚園、保育園でも小中学校でも、


「何の職業に付きたいか?(何になりたい)」


と聞かれるのに対し、



外国暮らしをしていた人は



「あなたは将来どうしたい?どんな人になって何をしていたいか」



を聞かれると聞いた。



それを聞いたとき、



日本だとまず仕事につかないと、と考えさせらるけれど、



どういう生き方がしたくて、



それにはどれくらい稼ぎがいるか、



ということなのだなぁと改めて気づいた。



即ち、したい生活スタイルで生活コストも得る金銭も仕事も変わって来る。



けれど。



小中学校は次の進学のため



高校も次の進学や就職のため



大学も入ったらすぐにインターンシップで職業体験、専門の勉強もろくろく始まらないうちに

就活。



で、自分の人生設計や自分のコンテンツについて、ろくろく考えないまま、ベルトコンベヤーに乗せられて、社会へ放流させられる。



ムダな時間を過ごさせるな、

余計なことを考えさせるな、

働いて生産性を上げる人間になれ、


という圧迫感が私が学生でいた牧歌的なころよりも、ひどい気がする。



ゆったりと人生について、


失敗しながら、


漂流するゆとりはないのだろうか。




 

 

うつさんのいう「人生の目的論」。自分軸で生きないから苦しいのかな?と思います。