今日は過去の話。
娘、小学校1年の時の話。
娘、実はもう小学校入学してすぐにつまづいて、不登校になったのです。
でも、学校側の努力で2学期に復学しました。
その学校の努力が本当に有り難かったなぁ、
という話。
小学校1年の不登校の原因。
それは、
新人2年目、ヒステリック子どもの受容度0、
裏表が有りすぎる担任教師が原因です。
マージで、この人がヤバイのに、
担任に学校に文句言うな、という学校の注文は私には無理でした。
モンスターと言われようがなんだろうが、
私は当時校長と戦いました。
初任者指導教員はどーなってんだ!
管理職はバカか!
と怒鳴ってやればよかった、と今も後悔するくらいです。(私は優しい性格なので遠慮しましたよ。でも、校長室には乗り込みました。)
では、どんな担任だったか?をお教えしましょう。
小学校1年担任の狂った所業集
その①
4月。まだひらがななど文字も読めない(のを想定している)小1に、朝の会の進行マニュアルを渡し、それをよどみなく読めないと、「読めないんですか?」などと全員の前で叱責。
その②
4月。給食係にも慣れていない着替えの遅い小1に時間内に着替えられない我が子にも、
「お前はクビ!」発言。
その③
発達障がい(発達症)があるとおぼしき子が担任のいうことを聞かないので、廊下にその子どもとその子の机イスごと出して、その子が教室に戻ろうとしても、教室のドアを中から手で、押さえて入らせない。
(授業を廊下に出して受けさせないのは法令違反では?マンガによく出てくる廊下にバケツもって立たせるは違反て習った気がする。大学で教職課程とったからね)
その④
上記の子を廊下で狂ったように叱り、でも教室を覗き込み、にっこりした顔で教科書を見ていてねと言う。(HSCの我が子はこの二面性により、どちらが本当の担任の顔なのかわからず大混乱。恐怖を植え付けられる)
その⑤
娘が行き渋りし始めた4月下旬に遅れて教室に私が娘を連れて行った時、親の私の目の前で、同級生の服の襟首をこの担任が子どもの真正面から引っ張りあげて、指導する。
この担任の指導に、保育園、幼稚園上がりの子どもたちに耐えろはおかしい。現に、不登校になったし、我が子。
あー、思い出すだけで、腹が立ってきたわ!
この担任のせいで、娘、復活するのに4年はかかったんだよ!(学校という場所に馴染むのに4年)
ちなみに、完全不登校は1年の4月~6月でした。それからは、別室母子登校していた。
完全に教室に戻ったのは、11月。
登校班に戻れたのもその時期だったかな?
長くなるので、続く。