前回は、塚本邦雄著『新古今集新考』(岩波セミナーブックス1995)を読んで、式子内親王の、新古今和歌集入撰の和歌

 ながめつる 今は昔と なりぬとも 軒端の梅は 我を忘るな

に対する評で、菅原道真の名歌

東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅(むめ)の花 あるじなしとて 春を忘るな

の二番煎じと断じて、「この歌大嫌いです。(中略)こんな歌、新古今集にはいるのがおかしい」とさえ述べていると引用しました。

 前回は、時間の余裕がなかったことと、新古今集に収まるほどの名歌をぼろくそにけなす発言に、こちらもいささか冷静さを失っていました。でも、この発言は、いかにも塚本氏らしい毒舌で、この本での式子内親王の評価も同様に塚本氏ならではのもので、そのめった切りのような評に反論しようと考えているうちに、〈式子らしさ〉とは何か、その真骨頂は?ということが自分の中で、より明確になってきました。

 まず、改めて塚本氏についてですが、もうすでに故人です(2005年没)。前衛短歌運動の旗手とされ、反写実的で幻想的な喩とイメージを駆使した短歌で知られています。新古今歌人についての評論は高い評価を得ています。

 上の引用が載る岩波セミナーブックスについては詳しいことは分かりませんが、どうも岩波書店が催した公開講座の内容を本の形にしたもので、著者が直接執筆したものではなく、録音したものを文字に起こしたもののようです。塚本氏が、悪く言えば、引用のような言いたい放題の発言があちこちにあるのも、こうした公開講座での発言だからでしょう。人間誰しも、勢いで放言することがままありますから、多少大目に見なくてはと、今は冷静になって考えています。ただ、もう一つだけ、この本での百人一首についての極めて大胆な発言を引用しておきます。

 
 藤原定家、歌は抜群にうまいけれども、その撰歌眼たるや首を傾げざるを得ない。百人一首というのは愚歌の集まりだと言ってよく叱られるんですけれども、三、四以外は凡作ばかりです。

 僕は、何もすでに故人となった鋭利な頭脳の持ち主を鞭打つように批判しようとしているわけでは決してありません(僕は自分の愚かさを自覚していますから尚更です)。そのことだけは誤解なさらないで下さい。そうではなく、世の中の評価はどうあろうと、塚本氏は、独自な判断基準で、歌の優劣をまず決定するという態度に着目してほしいがためです。

 さて、式子内親王についての章に戻りますが、その前に、これ以前に書かれた著書(『新古今新考ー斷崖の美學ー』(花曜社)では、塚本氏が内親王の和歌を全体としてかなりの高評価を与えていることを付け加えておきます。

 最初に、塚本氏が選んだ式子の秀歌30首あまりの和歌が挙げられています。驚くことに例の百人一首の名歌「玉の緒よ」が入っていません。講座に参加した方はどうして入ってないのか、と首を傾げたに相違ありません。塚本氏にとっては、一般的な評価などは全く関係ないのです。なかなか、並みの人間にはできませんよね。その意味では、本当に凄い人です。この章では当然ながら、新古今調の妖艶な和歌を称揚しています。例えば、

 花は散り  その色となく  ながむれば  むなしき空に  春雨ぞふる

  新古今集入りの秀作です。代表作に入るでしょう。「むなしき空に 春雨ぞふる」あたり 新古今の精粋を感じ  させます。

 この評には勿論同意します。この和歌については僕もすでに「晩年の歌」で取り上げましたので、ご覧いただければ幸いです。

問題にしたいのは、次の歌とその評です。

 日に千たび 心は谷に 投げはてて あるにもあらず 過ぐる我が身を

すさまじい歌です。直情径行、思いのたけを吐き出したという感じで、新古今調の妖艶な趣はありません。式子の作とはとても思えない一首です。

 この評にも全く同意です(この歌も割と最近取り上げました)。はっと思ったのは、最後の文です。「式子の作とはとても思えない」、これだ!新古今調の歌人の枠にはまらないのは。さらにそれまでの歌人を考えても、式子以上に、振れ幅の大きい、ダイナミック・レンジの歌の世界を創り出した歌人は果たしているのでしょうか。少なくとも女性歌人にはいません。美の移ろいを歎いた小野小町、奔放な恋を詠んだ和泉式部、妖艶を尽くした俊成卿女… いずれも、独自な秀歌を残しましたが、式子内親王ほど、ほのかな美の世界を描いた歌、忍ぶ恋の激しい情意を詠んだ歌、写実的に見えて、実は虚構の叙景歌、極めて内省的な歌、シュール(幻想的)で深層心理を秘めた歌、全く仏教臭さを感じさせない釈教歌等々… 様々な種類の歌を詠んだ歌人は皆無だと思います。


 代表作というと、普通評価や人気の高い作品であると同時に、その作家の作風をよくあらわすような作品を指すと思うのですが、式子内親王の場合は、とても定めがたいと思います。一般的には、百人一首の「玉の緒よ」の知名度が断トツに高いので、これが代表作とされるのでしょうが、式子の和歌に魅せられ、全て作品を読んだ方は、おそらく皆、その好みによって異なる和歌を選ぶに違いありません。僕自身について言えば、とても一首選ぶことは到底無理です。

 だいぶ長くなってしまいましたが、〈式子らしさ〉に気づかせてくれた塚本氏にあらためて感謝です。専門家は、この結論を一笑に付すと思いますが、全く構いません。僕としては、式子内親王の和歌の真骨頂に触れ得たような気がします。