一昨日、京都旅行より帰ってきました。葵祭見物と東山トレイルを楽しみ、あっという間の4日間でした。それから、風俗博物館、京都市平安創生館、晴明神社、六道珍皇寺、蘆山寺など、これまで訪ねられなかったところにも行け、よく学んだ旅行となりました。

 

 前回、葵祭について概略を記しましたが、大事なことを書き忘れてしまいました。式子内親王と葵祭との関わりです。葵祭は、正式には賀茂祭といい、賀茂神社(上賀茂神社と下鴨神社)の祭礼です。式子内親王は数え年11歳の時、賀茂の第三十一代斎院[斎王]に占定(占いで選ばれること)されました。しかし、実際に斎院(紫野本院)に入るのはその2年後で、陰暦四月の中の酉の日(現在は5月15日)に賀茂祭の行列に参列し、下鴨、上賀茂神社の順で参拝しました。この時、父後白河院も祭列を密かに見物したという記録が残っています(『山槐記』『兵範記』)。「日本一の大天狗」と称された後白河院の一般的なイメージと異なり、いかにも可愛い娘のことを気に掛ける父親といった感じで、何かほほえましいですね。なお、斎院制度は鎌倉時代初期に廃されて、現在は斎王代が葵祭のヒロインとして観客の注目を最も浴びています。

 

 

 葵祭の行列を観るのは初めてで、今回は出発点である京都御所の観覧席での見物となりました。開始は10時半でしたが、9時頃会場に着いたときには、大勢の人々が押しかけ、陣取りをしていました。当日は曇りがちの天気で、かえって強い日差しを浴びずに済みました。観覧席の人には、小冊子が配られました。これがとてもよくできていて、行列を構成する役人、女官などがすべてカラーの丁寧なイラストで表され、持ち物の名称も表記されているのです。主要な役人は写真入りで簡単な説明もついています。今後、『源氏物語』などを読む際にも役立ちそうです。

 

 

行列の主役的存在は、近衛使代(このえづかいだい)なのですが、最後の方に列し、地味な感じでしたので、上の小冊子を見ないと、一番位が高い人だと気づきづらいと思いました。ただ、唯一白馬に乗り、豪華な馬具をつけているので、わかる人には分かりますが。

 

 本列の後に、斎王代列(女人列)が続くます。やはりこちらが華やかで、注目をあびます。腰輿(およよ)に乗った斎王代は言うまでもなく一番目を引き付けられますが、その後に続く童女(わらわめ)たちの歩調がそろっていないのが、かえって可愛らしくみえます。その後、6人の騎女(むなのりおんな)が続きます。その名の通り、馬に乗って参列するのですが、実は斎王に仕える巫女だそうで、一番凛としてみえました。最後の方に現れるのが、斎王代の牛車で、この時は車輪の調子が悪く、きしむ音がひどかったです。先頭を二人の牛童(うしわらわ)という童女が務めるのですが、一生けん命辛そうな顔をして引いていました。途中で牛車は車輪を交換したそうです。今回僕も、行列について行き、とうとう上賀茂神社まで至ってしまいましたが、二人の牛童が最後までへこたれず頑張っているのを見て、感動しました。一番体力的に大変な役目だったに違いありません。

 

 

 

 

 上記だけですと、まず下鴨神社に11時半頃着き、14時20分ごろ再び出発ということが抜け落ちていて、首を傾げた方もいたかもしれません。下鴨神社周辺は、警備員が相当な人数必要な程、ひどい混雑で、境内にはしばらく入れませんでした。仕方なく、近くを流れる高瀬川の堤防に行き、シイタケの巻きずしを昼食としました。ゆっくり休んだ後、神社に戻ると境内に入ることができ、運よく走馬(そうめ)の儀が観られました。すぐ近くを馬が疾走するのを観るのは初めてで、馬が一瞬にして駆け抜ける瞬間はド迫力がありました。

 

 

 

 祭列の行程は8キロなのですが、こちらは下鴨神社周辺を歩き回ったり、上賀茂神社から最寄りの地下鉄北山駅まで歩いたりして、結局10キロ以上にもなり疲れ果てましたが、葵祭を堪能できた一日でした。