本題に入る前に、今読んでいる山本淳子著『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか』(2023年12月25日第一刷発行、朝日選書)で、今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』に登場する道長の兄、道兼について、この書ではドラマと異なる側面を記しているので、そのことを触れておきたくなりました。

 ドラマでは、少年時代の道長「三郎」に乱暴を働いたり、「まひろ」の母を殺したり、花山天皇を騙して出家させたりするなど、残虐で狡猾な人物として散々に描かれていますが、この書を読むと、意外な一面をもっていたことが分かります。第4章の冒頭「あはれ道兼」の小見出しの後に次の和歌がまず載せてあります。

 朝顔の あしたの花の 露よりも あはれはかなき 世に経(ふ)るかな

特に訳を添えなくてもよいでしょう。人の世のはかなさ、無常を詠った歌ですが、作者は道兼で、実は和歌を好んでいたのです。道兼が疫病により35歳で死んだことを考えると、自らの早すぎる死に手向ける和歌を知らずに詠んでいたと思わずにはいられませんね。道兼は、このような和歌を詠むことからもうかがえるように、歌人、文人とも交流があったのです。ドラマでは秋山竜次が演じる藤原実資(さねすけ)の日記『小右(しょうゆう)記』(61巻もある平安時代史の最重要史料。昨年4月に吉川弘文館より倉本一宏編全16巻の現代語訳が刊行されています)に、井浦新が演じる道隆(藤原三兄弟の長兄)が内大臣に内定した日に、漢詩漢文、和歌に興じる会を道兼が催して多くの殿上人が集まったことが記されています。こうした事実からも、道兼がなかなかの文化人で、人望もあったと著者は結論付けています。さらに、この本には、道兼のもう一つの和歌を挙げています。何と因縁の花山上皇の命による勅撰和歌集『拾遺和歌集』(哀傷 一二八)に収められているものです。
 
 偲べとや あやめも知らぬ 心にも 永からぬ世の うきに植ゑん

「これを見て思い出してくれ」というのか。何もわからぬ幼子なりに短い命を恨めしく思ってこの菖蒲を植えていったのだろうか。

道兼には童名が福足(ふくたり)という長男がいて、手におえないやんちゃな子でした。しかし幼くして死ぬのですが、その前に庭のせせらぎに菖蒲を植えていたのです。道兼はその死の翌年、菖蒲の芽が出ているのを見て、上に挙げた歌を読んだわけです。親にとっては、どんな手に負えない子であっても、かけがいのない子でしょう。子のいない自分でも、この和歌には思わずほろりとさせられます。この歌を読む限り、道兼は全く悪人とは思われません。

思いもかけず、長くなってしまいました。ドラマだと全くの悪人ですが、この記事を読むと、全くの別人と思いませんか。要は、ドラマはあくまでもフィクションだということです。でも脚本家を貶めるつもりで、この文章を書き記したのではないことはご理解くださいね。

最後に、僕はこの書の著者、山本淳子氏を常々高く評価しています。決して堅い本ではありません。読み物としても、一気に読み進められ、非常に面白いものです。国文学者(平安文学研究者)でありながら、歴史史料も丹念に読み込んでいます。ドラマを観て、道長という大人物ー疫病さえも「味方」し、好運に恵まれたーについてもっと知りたい方、必読の書です。また紫式部、清少納言についての書もやはり必読です。それらの本で触れられる悲劇の中宮、定子が哀れでなりません。
 
当初の予定は変更して、式子内親王の桜を詠んだ歌(2)は、次回にします。