今回は、梅の花を詠んだ名歌中の名歌であり、百人一首(三五番)にも選ばれているので、皆さんもよくご存じでしょう。高校の古文でも、必ず学習するのではないでしょうか。僕は高校生の頃(嗚呼、はるか昔!)も怠け者だったのですが、うっすらと学んだ記憶はあります。当時はこの歌の価値は正直分かりませんでした。今はさすがにかみしめられますが。

 人はいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける 紀貫之 春上 四二

《歌意》さあどうでしょうか、人の心というものは分かりません(変わってしまいます)。でも昔なじんだこの里では、梅の花が変わらずその香りを漂わせていますよ。

ちょっと語句の説明をしておきます。「ふるさと」はここでは「生まれ故郷」の意ではなく、「かつて慣れ親しんだ里(ところ)」の意です。それから「にほひ」の終止形「にほふ」は「鮮やかに(美しく)色づく(輝く)、美しく咲く」というのが元来の意味なのですが、後に嗅覚の表現でも用いるようになりました(でも、古文では悪い意味で用いることはないようです)。この詞は式子内親王も好んだ表現なので、留意してください。

 この和歌には詞書があり、初瀬(奈良県桜井市の長谷寺)に詣でる度に泊まった家に久しく泊まらなかったところ、その家の主に「宿はこのようにちゃんとありましたのに(長い間おいでになりませんでしたね)」と皮肉交じりに言われて、梅の花を折って、詠んだ、とありますので、「花」は梅の花のことだと分かります。

 歌は、当意即妙の歌で、主に見事に切り返しています(それに歌の調べも格調高いですね)。さすが、当時の和歌の第一人者、紀貫之といったところですね。それはともかく、この名歌から、梅の香は、忘れることなく変わらずにかおるもの、という観念ができたように思われます。梅の香が、思い出や記憶と深く結びついたのです。実際、香りや匂いといったものは、五感の中で一番記憶に残るそうです。春上から二首ほど、類例を挙げておきます。

 梅が香を袖に移してとどめてば春はすぐ過ぐとも形見ならまし
                    よみ人しらず 春上 四六

《歌意》梅の香を(薫物のように)袖に移してとどめることができたら、春が過ぎ去っても、その香が春の形見となるでしょう。

 散りぬとも香をだに残せ梅の花恋しき時の思ひ出にせむ  よみ人しらず 春上 四八

《歌意》散ってしまっても、せめて香りだけでも残しておくれ、梅の花よ。お前が恋しい時、その香を思い出(の種)としよう。

なんかいい歌ですね。こうした和歌により、梅の香が人を魅了することがよく伝わりますね。

今回はこれまでと言いたいところですが、あれ、あの菅原道真の歌はどうして出さないの、という声が聞こえそうです。

 東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな 

《歌意》春になって、東風が吹いたら、香りを私のもとに届けておくれ、梅の花よ。
主がいないからといって、春を忘れてはならないよ。

 この、あまりにも有名な和歌は、『拾遺和歌集』(1002年から1004年の間に成立?)に載せられています。『大鏡』にも載せられていますが、結句が「春な忘れそ」となっています。道真が大宰府に左遷されたのは、昌泰4年(901年)、薨去したのが延喜3年(903年)でしたが、913年ごろに成立した『古今和歌集』に収められなかった(間に合わなかった?)わけです。道真は庭に植えられた梅の木を愛したそうですが、やはり、この歌にも、梅の香が記憶と深く結びついているという観念がこもっていると思われます。この和歌も後の時代に多大な影響を与えたことは言うまでもありません。

 次回こそ、式子内親王の梅を詠んだ歌を取り上げたいところですが(もう桜の開花が近い時期になってしまいました)、その前に二首ほど挙げておきたい和歌があります。