前回の投稿で、式子内親王が「ほととぎす」を詠んだ和歌が多いことを述べました。そこで今回は、この古典和歌によく詠まれる鳥を取りあげることにします。本当は、初夏を知らせる鳥ですから、その頃に取り上げるのがよいのかも知れませんが、ちょっと今気がついたことも述べておきたいと思います。

 この記事を書く前に、ホトトギスについて、ネットで検索して、調べました。古典詩歌にたびたび登場するのはどうしてなんだろう、鳴き声はどんなのだろう、と、この鳥について無知でもあったからです。

 ホトトギスは、カッコウに姿形よく似た鳥なのですね。カッコウ目カッコウ科で、ウグイスなどの巣に托卵する習性も同様にあるそうです。ここで初めて、今使用しているテキスト、奥野陽子著『式子内親王集全釈』でも「郭公」の漢字表記が多い理由が分かりました(なお、松尾芭蕉もこの表記を用いているそうです)。自分の無知をさらけ出すのは、恥ずかしいのですが、インド、中国南部などから渡ってくる夏鳥なのですね。僕は、古の人と同様、山から里におりてくるものとばかり思っていました。日本へは五月中旬ごろ渡来し、他の渡り鳥より遅いそうです。

 ホトトギスは、ウィキペディアによると、『万葉集』では、153例、『古今和歌集』では42例、『新古今和歌集』では46例も詠まれています。初夏を知らせる鳥として良く知られていますが、特に夜鳴く鳥として珍重され、『枕草子』にも、その初音を人より早く聞こうとして待ち遠しく思い、夜が更けて、その鳴き声に接し、感動する旨がつづられています。

 さて、式子内親王も、ほととぎすを詠んだ歌が12首あります。伝統的に、この鳥はよく詠まれているとはいっても、この数はかなり多いと言えます。その理由として、いろいろなことが考えられます。でも何といっても、以前取り上げた、賀茂祭を回想した名歌

 郭公その神山の旅枕ほのかたらひし空ぞ忘れぬ

《歌意》ほととぎすよ、その昔、賀茂の神山で旅寝をした時に、ほのかに鳴いた曙の空の思い出を決して忘れないよ

  

 ほととぎすの鳴き声は、賀茂祭や斎院時代の思い出と深く結びついているのです。式子内親王にとって、単なる題詠の対象ではなく、思い入れが強く、シンボリックな存在にもなっていると言えましょう。これから、ほととぎすにどういう思いを寄せていたか、2,3首取り上げて、見て行きましょう。
 
 待ち待ちて夢かうつつかほととぎすただ一声の明けぼのの空

《歌意》待ちに待って聞こえてきたのは、夢なのだろうか、現実なのだろうか。ほととぎすよ、曙の空で、ただ一声鳴いただけ。

これには、本歌とされるものがあります。

ほととぎす夢かうつつかあさつゆのおきて別れし暁のこゑ 古今集 恋三 六四一


 本歌の、後朝の別れを詠んだ恋歌の文脈を換えて、ほととぎすに対する思いの強さをあらわしています。前の名歌でも、ほととぎすの鳴き声を聞いたのは、神館で一夜過ごした後のあけぼのの空ででした。僕には、この二首が共鳴しているように感じられます。「あけぼのの空」なる詞も内親王の歌にはよく出てきます。「ほととぎす(の鳴き声)」→「あけぼのの空」→「(おそらく唯一幸福であった)斎院時代の思い出」と遡及していくのです。この和歌は夏の部に入れられていますが、季節の景物として、ほととぎすを詠んでいるわけではないことは明らかでしょう。

 どうですか。相も変わらず舌足らずなものになってしまいましたが、ご理解いただけたでしょうか。次回も、ほととぎすを詠んだ歌を取り上げます。宜しくおつきあいください。