式子内親王の命日(一月二十五日)も迫ってきました。このところ、これぞ式子の真骨頂ともいうべき和歌を挙げていなかったので、今日は、歌人としての実力がよく伝わる和歌を取り上げたいと思います。最後の百首歌『正治初度百首』「恋」の部にあり、『新古今和歌集』恋一 一〇七四にも入集しています。

 しるべせよ跡なき波にこぐ舟の行へも知らぬ八重の潮風

《歌意》道しるべをしておくれ、八重の潮路を吹く風よ。航跡もない波の上を漕ぐ私の舟は行方もわからないのだから

 恋する自分を、道しるべのない、はるかな海上を進むのに難儀している舟に譬えている恋歌です。あてどない恋の不安を詠んでいるわけです。「八重の潮風」は、はるかな潮路を意味する歌語「八重の潮路」を基にした、式子が得意とする独自表現で、はるかな潮路を吹く風、の意です。

 この歌には、『古今和歌集』に本歌とされている和歌があります。
 
白浪のあとなき方に行く舟も風ぞたよりのしるべなりける 藤原勝臣 恋一 四七二

《歌意》白波の航跡も残らない方向に行く舟も、風だけがたよりの道しるべなのだ

両歌とも、舟が恋の不安を象徴するものとなっている点では一致しますが、本歌の方は式子の歌と比べると、あきらかに平板で、単調な感じがしませんか。内親王の歌は詞続きも複雑で、ダイナミックです。特に、「八重の潮風」に向かって、初句で「しるべせよ」と訴えるように呼びかける技法は、強い印象を与えています。結句に余情が漂い、調べもどこか格調高いと思いませんか。