のNHK大河ドラマ「光る君へ」第一回観ました。終りごろに、「まひろ」の母が、藤原道長の兄、道兼に刺されて死ぬという衝撃的な展開は思いも寄りませんでした。好感度の高い、母役の国仲涼子が初回のみでもう登場しない(回想場面で今後も出てくるのかもしれませんが)のは、正直なところ残念でなりません。史実では、式部が幼いころに母は亡くなっているらしい、としか分かっていないのですが、この展開はちょっと激しすぎる気がします。

 それから、今回から式子内親王の呼び方を一つ増やすことにします。同時代の記録によると「大炊御門(前)斎院」「三条前斎院」と呼称されていましたので、「前斎院」をこのブログで呼称の一つに加えます。それほど用いる機会はないかも知れませんが、この方がしっくりくるような時にこう呼びたいと思っています。

 さて、風邪も良くなって来ているので、昨年末取り上げた藤原俊成と前斎院との哀傷歌群の続きをします。一対の和歌が、今風にいえば、「コラボ」しているかのように、息が合っていることがお分かりいただけると幸いです。二人の間で共有されているのは、もう言うまでもなく『源氏物語』です。

 いつまでかこの世の空をながめつつ夕べの雲をあはれとも見ん  俊成
 
<いったいいつまで、この世の空を物思いして眺めながら、夕べの雲をしみじみと見るのであろう>

 歎きつつそれと行方をわかぬだにかなしきものを夕暮の雲  式子内親王

<夕暮の雲をずっと歎きながらお眺めなさって、その雲の行方がお分かりにならないことだけでもどれほどおつらいことですのに>

この一対の歌に共通する「夕べの雲」「夕暮の雲」がキーワードだと分かりますね。それは、『源氏物語』「夕顔」巻で、光源氏が夕顔の死を悲しんで詠んだ歌から理解できます。

 見し人の煙を雲とながむれば夕べの空もむつましきかな

<あの愛しかった人を火葬した煙が雲になったものと物思いして眺めていると、夕べの空も親しみ深いものだ>


 この歌から、「夕べの雲」「夕暮の雲」が亡き愛する人の火葬の煙であることが容易に分かります。俊成も式子も、この歌を踏まえていることは間違いありません。

式子内親王の歌はさらに、『源氏物語』の次の場面も踏まえています。
 
「葵」巻に、亡くなった葵の上の兄、三位中将(かつての頭中将)が、喪中でひきこもっている光源氏を見舞った際、空がしぐれた時に、歌を詠みます。

 雨となりしぐるる空の浮雲をいづれの方とわきてながめむ。

<妹が時雨となって降る空の浮雲を、どの方向の雲と見分けて眺めようか>

そして、この歌の後に「行方なしや」(行方がわからないや)とつぶやくのです。





 内親王は、この場面を思い起こして、「行方をわかぬだに悲しきものを」(その雲の行方が分からないことだけでもどれほどおつらいことですのに)と詠んで、師である俊成の尽きることのない深い歎きを察しているのです。

 前斎院は、このように物語の人物に相手や自分の心情を重ねて歌を詠んでいるのです。『源氏物語』を通して、愛妻を亡くした俊成の深い悲しみを思いやり、寄り添い、唱和しています。さらに付け加えておくと、中将の歌も、実は中国の故事や漢詩を踏まえて、詠まれていることです。つまり、俊成や内親王の歌は、かように物語を介して重層的な構造の上に成り立っている、と言えます。

 いかがでしたか。なかなかうまく説明出来ませんでしたが、この一対の哀傷歌が、奥行きが深いことだけは通じたと信じています。次回もこの続きを致します。ここまで、長々した拙文をお読みいただきありがとうございました。