昨日ご覧になった方へ。「かつ氷りつつ」の語釈をした段落に、ちょっと書き加えました。一晩寝て起きたら、どうしても触れておきたい気がしたのです、どうか、その部分だけでもご覧ください。

 

 だいぶ寒くなってきました。昨日は特に冷え込みが厳しく、本格的な冬の到来を実感しました。というわけで、今日、取り上げる歌は、やっぱり冬の歌でしょうね。

真柴つむ宇治の河舟よせ侘びぬ棹の雫もかつ氷りつつ

《歌意》刈った柴を積んでいる宇治の河舟が、川岸に氷が張って寄せるのに難儀して  いる。竿から滴る雫も同時にすぐ凍りつつ…。


 歌意がたとえ分からなくとも、下句から、冬の厳しさが伝わってきますね。
さて、この歌でまず注目すべき詞は、まず「宇治の河舟」です。これは景物ともなっていますが、式子内親王がこの詞を用いたのは、それだけではなく、愛読した『源氏物語』の「宇治十帖」の最初の巻「橋姫」の次の一節を意識していることに他なりません。

「あやしき舟どもに、柴刈り摘み、おのおの何となき世の営みどもに、行き交ふさまどもの、はかなき水の上に浮かびたる、誰れも思へば同じことなる。世の常なさなり。(以下略)」*

「粗末な幾隻もの舟に、柴を刈り積んで、それぞれ何ということもない生活に、上り下りしている様子に、はかない水の上に浮かんでいるが、誰も皆考えてみれば同じことである、無常の世だ。」*

 薫が宇治の姫君を垣間見て、心惹かれた後に、山荘から宇治川の方を眺めて、河舟に刈った柴を積む人々の営みの姿に、世の無常を感じるという一節です。歌は冬の厳しさを詠んでいるのですが、同時に、この一節から、無常の意識も織り込まれていることを見逃してはなりません。また和歌の世界では「宇治」は「憂し」の連想が働くことも付け加えておきます。

 『源氏物語』「橋姫」巻とのつながりは、この詞だけではありません。「竿の雫」なる詞も、上の一節の後に、薫が宇治の姫君(大君)に贈った歌に出てくるのです。

 橋姫の心を汲みて高瀬さす棹の雫に袖ぞ濡れぬる*
 
「姫君たちのお寂しい心をお察しして浅瀬を漕ぐ舟の棹の、涙で袖が濡れました    」*

*これらの引用(本文と現代語訳)は、「源氏物語の世界 再編集版」(高千穂大学の渋谷教授が公開しているHPの再編集版)に拠りました。本当に有難いサイトです、深く感謝しています。 

 今述べたことを踏まえて、語釈をしていきます。「真柴」は巻や垣などにする柴で、初句の詞「真柴つむ」は「宇治の河舟」の枕詞のような働きをしていますが、他の歌人に例がないそうです。「竿の雫」は上の例では涙の比喩となっていますが、本来の意味は竿を引き上げたときに滴る雫のことです。「よせ侘びぬ」も船が岸に寄せるのに難渋しているという意ですが、「侘びぬ」とすることで、上で述べた無常の念ともよく響き合います。この詞も他に例がないそうです。

「かつ氷りつつ」の詞続き、僕は式子らしい大胆な言葉遣いだと思います。「かつ氷る」という詞は新古今以後に用例があるのですが、「つつ」と終止し、現前で起こっているような臨場感、緊張感が伝わってくるからです。この訴える力のある表現に、僕には、冬の厳しさ、辛苦に耐えて、暮らしを営む人々への共感が込められているように思えてなりません、あくまで僕自身の思い込みですが。内親王には、山里に暮らす人々への共感をうかがわせる歌があります。いずれ取り上げたいと思います。

 冬の厳しい寒さも無常も詠み込まれている歌、いかがお感じですか。僕は式子内親王の歌に心酔しているので、この歌が独創的な表現を多用しながらも、とても格調が高く、高貴な精神の持ち主でないと詠めない歌と考えてします。


《追記》 今回、宇治で最後に訪れた橋姫神社がひどく放置されている現状に心が痛みました。観光客は宇治平等院や宇治上神社などに吸い寄せられてしまっています。地図にはしっかりと由緒ある橋姫神社の所在が示されているのですが、実際に行ってみると、通りに面してはいるものの、ひっそりとして気づきづらく、人が訪れた形跡があまり(いや、ほとんど)ないのです。『源氏物語』や和歌などでよく知られるだけに、この今の有様は哀れです。その他では宇治の街並みはよく文化的にも整備されていると感じたのですが、橋姫神社の現状を見て、残念でなりません。