先日は高を括って午後4時過ぎに図書館に入って締め出されたので、2月10日には午後2時に入館した。こんどは時間たっぷり、『東京日日新聞』11枚、『東京朝日新聞』9枚のプリントアウトを撮ることができた(以下『東京日日』『東京朝日』と略記し年号は省略する)。
「◎東京に稀れな大嵐」(『東京日日』7月30日付)
「◎全市の暴風雨被害 浸水家屋及び樹木の倒潰夥し」(『東京朝日』7月30日付)
「◎颱風去る 甲府を荒し日本海へ」(『東京日日』7月31日付)

《◎颱風去る 甲府を荒し日本海へ
一昨日東京附近を荒らしたる颱風は同日の中心は房州の東海岸にありしが次第に北西に進み房州を横切り相模半島を過ぎ昨朝は甲府附近に進み信州を経て日本海に去れり……》
 台風コースとしては珍しく、北西に向かって日本列島を横断している。遭難を引き起こしたとすればこの台風であるが、この時点で山岳遭難の記事はない。8月中の新聞をいくらめくっても出てこないはずである。
 8月5日付が遭難の第1報である。
 
「◎帝大生の大捜索 ?同行五人行方不明となる」〔小山秀三郎君 藤井彦七郎君、安川半右衛門君、山室君の顔写真掲載〕(『東京日日』8月5日付)
《◎帝大生の大捜索 =同行五人行方不明となる ……
内務省印刷局活版部長小山初太郎氏の三男帝大学生小山秀三郎外四名の学生等は夏期の高山縦走を計画し廿五日東京を発足し甲武信の国境国師ケ岳の絶頂を極め金峰山攀登を企て其れより山梨県北巨摩郡増富村のラヂユーム鉱泉に出で三十日に帰京の予定にて廿四日東京を出発し中央線塩山駅に下車したるが出発後十一日目の今日に至り何等の消息に接せざるより小山方其他にては非常に心配し四日午後電話にて山梨県警察部に捜索方を出願したり……(四日、甲府電話)》
「◎帝大生等五名の生死 ▽金峰山へ登攀を試みて▽十一日間音信全く絶ゆ」(『東京朝日』8月5日付)
 さっそく大規模な捜索が開始される。

「◎大学生等の生死今尚不明 =各父兄甲府に向つて出発す= ▽国師岳山麓へ捜索隊派遣」(『東京朝日』8月6日付)
「◎帝大生は尚不明 山中の捜索に着手 △東京からも二組の捜索隊」(『東京日日』8月6日付)

 しかし捜索は難航。捜索隊を細かく分散させて、文字通り草の根かき分けて、地面を這うような捜索がつづく。(つづく)