講演会は11月23日午後1時30分、浜松市福祉交流センターで開かれた。
   
 会場は2階の大会議室、定員100人がほぼ満席である。各人の机の上には資料が置かれている。
 
『記念館ご案内 金原明善翁生家』(金原治山治水財団発行、2011年発行?)
『富士山のふもとに生きる~金原明善と富士山麓の生業』(図書館流通センター作成、2023年10月)
 後者はA4版1枚の書籍リストで32冊の書名が並んでいる。どうやら、浜松市立図書館には金原翁関係の書籍がこれだけありますよということらしい。
 そして『金原明善と富士山(富士山世界遺産セミナー 11/23(木)』というA3二つ折り3ページのレジュメ。 
 
 1ページ目には「富士山近辺活動ポイント」として明治14から42年にわたる金原翁の事績が列記されている。とはいっても、半分以上は山梨県の身延山関係で、富士山での活動についてはイメージしにくい。
 黄色のマーキングは初めから付けられていたもので、なにか別の講演で使ったレジュメを流用したものかとも考えてみたが、マーキング個所を繋いでいっても論理的関連性は感じられない、何だろう?
 そして2~3ページ目は参考資料であろう、富士山関係以外の、金原翁の出自から晩年に至る全事業・業績の一覧である。
  講師は、明善記念館館長の金原利幸氏、明善翁の孫ということである。心配なのは、利幸氏の持ち時間が1時間(13:50~14:50)でこれだけの内容を喋ることができるのかという点である。
 講演は、もとえ、いきなり始まったのは映画である。
 素人っぽい演出の8ミリ映画(?)で、内容は浜松が誇る郷土の偉人伝である。明善翁のことは浜松では小学校の教科書に載っているとも耳にしたことがあるが、まさに子供だましである。わざわざこんな駄作映画を観せてもらうために浜松まで来たのか。
 さて前座はトンデモハップンだが、講演はどうか。
 私が坐っていたのは大会議室の中間の位置だが、話の内容はまったく聞こえない。目を凝らしてみると、利幸氏は100人の大衆の反応を見ながら明善翁の事績を解説しようとしているのではなく、最前列の数人と雑談をしている態なのである。利幸氏顔見知りのかぶりつき客かもしれない。
  そもそも静岡県世界遺産センターから金原利幸氏に講演依頼が行われたときの依頼内容は何であったのか、利幸氏は第14回富士山世界遺産セミナーのポスターを一瞥もしなかったのか。疑問が湧くばかりである。
 それにもう一つ、浜松市福祉交流センターには古臭い映写機はあっても、パワーポイント装置はないのか。