早朝、潮が満ちてきた。ヤバス。潮に押されて、我々は、船の残骸もろとも、数百メートル移動。するとついに、西に島を発見!
で、どんどん流されまして、その島が大きな陸であることも見えてきた。やった、中国はすぐそこだ。
と思ったら、潮が渦を巻き始めて、船の残骸といっしょにグルグル回りました。ほいで、船は泥にはまりまして、全然動かなくなった。でも、潮流は強いのよ。船、つーか、残骸が右に傾いて、泥に埋もれ始めました。
全員、褌一丁。船の残骸に結んだ縄にすがって、もう死を待つだけですわ。上海沖で、海の藻屑になるのね。南無~。
そしたら、こんどは左に傾いて、全員で右に大移動。んで、また左だ、右だ、数回、オタオタしてました。船底の板が、割れて、どっかに流れていきました。もはやこれまで。全員で泣いて、お祈りするだけよ。
と、その時! はるか北西の方角に何かが浮いているのを発見!「もしやこれは、誰か迎えに来てくれたのか!」と、みんなで大興奮。そう、立派な船が近づいて来たんです!
ジャジャーン。救援船に乗っていたのは、そう、我らが警備員の壬生開山たんと、中国人6人。あ、言ってなかったけど、団長や幹部は、先に小舟で探索に出てたんだよね~。先遣隊が中国に上陸して、助けを連れてきてくれたわけ。
秘書官の山代氏益たんとかが、壬生たんに、大使の居所を尋ねたんだけど、「シラネ!」。ああ、大使、死んじゃったのか、シクシク。
まぁ、まずは、日本政府から中国政府へのプレゼントを、ビショビショだけど、救援船に移して、秘書官1人と、船管理官2人と、坊主の円載たん、などなど27人も、船に乗り込んだ。陸を目指して出発!
12時、揚子江の河口。
14時、揚州 海陵県 白潮鎮 桑田郷 東梁豊村 に付いた。ついに、中国初上陸! 日本だと承和5年7月2日だけど、ここ中国では開成3年7月2日ということ。年号が違っていても、月日は同じ。仏教留学生たちは、駐屯部隊の偉いさんの、李賓という人の家に泊まりました。
んで、大使たちが、この間どうしてかったつー話を、教えてもらった。
大使の藤原常嗣たんたちは、6月29日14時に、絶賛崩壊中だったボロ船からボートで脱出。でも、風と波が強すぎて、ボート自体も沈みそうだった。だから、錨も捨てて、物も捨てて、漂流よ。もう、仏様に祈るしかないわね。したら、やっぱり仏陀、強風が収まりました。
夜中の24時に、揚子江の河口の南にの浅瀬に漂着!
7月1日の夜に、引き潮になって、ボードは立ち往生。マストに登って陸を見回してみると、南の遠くの方に3つ山があるけど、人家の明かりは見えない。
こりゃぁ、満ち潮を待っていたら、また夜になって、どうにもならんな、つーことで、もう、自力でボートを引っ張ろうということになった。ただ、人数が少ないので、全然動かない。事務長官すら動員して、ボートを引っ張った。
14時、ボートが浮かんだので、歩きながら引っ張って移動。河口に近づくと、逆流にあって前進不能。で、方向を変えて、水夫達にボートを引かせて進む。
そして、遂に第一村人発見! 芦を売っていた人がいました。「ココハドコデスカ?」と聞いたら、「中国 揚州 海陵県 淮南鎮 大江口ですわ」とのこと。で、ボートに乗ってもらって、村の方向へ案内してもらった。でも、役場の場所は知らなかった。日が暮れたので、江口で1泊。
ということだったそうです。