こんにちは✨
小田原市大乗院で寺務員、アクセスバーズセッションをしている『てらこ』のえんちゃんです。
今日は平成27年4月のお話しです。
病気の父にすぐに父に妊娠を伝えました❗
すると『子供のために仕事を考えなさい、皆で仲良くやることを考えなさい』と言われたのです
ほっとしたのを覚えています。
もう3人いてフルタイムの仕事は限界を感じていたので、とても救いに聞こえました。
母にも相談しました。
『農協を辞めてお寺で働きたい。子供の面倒を祖父母にお願いばかりは負担も多いから。』と。
しかし母は反対したのです
『これからお金がかかるから、農協でちゃんと給料をもらいなさい。大乗院では出せない❗』
と…💧
母の言葉はごもっともな意見。
支店にも相談すると『産休して考えるのも遅くないのでは?実績がもったいないよ。』
とありがたい言葉をもらえました。
どーしたら良いかわからないまま日々がすぎて行きました。
姉もイギリス行きを遅らせようかと悩んでいましたが、4月7日にイギリスへ
弟が一緒に同行し引っ越しを手伝いに1週間留守にしました。
父は体調がよく、一人で留守番をしていたり心配はありませんでした。
私はいつも通り農協に出勤していたある日『弟が帰って来たら家族を呼んで話をしたい』と病院の先生が言っている、と母に言われたのです。
弟の帰国は15日でしたので17日に病院へ行くことにしました。
タイミングよく学校の行事で休んでいたパパと子供3人も先生の話を聞きに行くことになりました。
病院へ着くとまずは父の病室へ向かいました。
さっきまで話が出来ていたのに、話は出来ず、モゴモゴと体が痛い、と言っているのがわかりました。皆で来たことも伝えると分かってくれました❗
孫に会えて嬉しそうでした。
先生の話を聞きに行くことを伝えて1度病室をでで、話を聞きました。
『もう余命2、3日です』
と先生…
父は治ると思っていましたし、生まれてくる赤ちゃんにも会わせたいですし、名前も上の子供達の様に画数をみてもらうつもりなので、死んだら困ります。あせる私
先生の言葉を信じないまま、もう一度病室へ戻りました。
母、弟、私の家族と父の義理の兄、姉は弟のテレビ電話で話をしていました。
もう夕方の6時になる頃、『食事をしてくるね』と父に伝えて病室を出ようとすると、手を伸ばしてきて何やら呼んでいました。
すると、
『今から旅立つから見ていなさい』
と話すことが出来ない父が話してきました。
本当に穏やかでした。
優しい顔でゆっくり呼吸がとまりました。
ずっと生きていると思っていた父が亡くなりました。
69歳でした。
その時、悲しさよりも父のいさぎよい生きざまに尊敬し、何かの使命感がわいてきたのを覚えています。
命をもってお寺に導いてくれたのです。
今日はここまでです。
長い文を読んで頂きありがとうございます。
ありがとうございました。