土地家屋調査士法人 えん の堀越です。


国分寺駅の北口から えん国分寺事務所へ通う道の歩道には、とてもカラフルなマンホールの蓋があります。

 

 

この道を通うようになってから、幾つかのカラフルなマンホールを眼にしていたのですが、

つい最近になって、これらのマンホールについての解説掲示板が歩道の傍らにあることに気が付きました。

 


 

カラフルで綺麗だと思っていただけのマンホールの蓋でしたが、解説を読んで、昭和の時代に少年であった私は、非常に驚かされてしまいました。


秘密基地のような種子島宇宙センター、つくば科学万博の記念に屋外展示されている国産ロケット、それらのおおもとになったペンシルロケットの発射実験場所が、事務所から至近の早稲田実業学校のグラウンド内にあたるというのですから。

 

 

ペンシルロケットの発射実験を記録した白黒フィルム映像は、テレビの科学番組やニュース解説で度々流されて眼にしてきましたが、60年以上も前の事であるというその実験を、身近に感じるとともに急にリアルなものとして、私の中でカラーの映像に変化してしまったかのようにさへ感じられます。

 

火薬の固体燃料を推進力とする細く小さな飛翔体を、二十数回発射するその実験に適した場所を探して、第二次大戦中に銃器の試射施設であった場所をこの国分寺に見つけだし、そこで着実に実験を重ね、成果を上げていった研究者達と技術者達の共同作業。


 そうした過程を思う時、最初に動力飛行機の飛翔を実現したライト兄弟の試行し、探求する行動の姿と重なってくるような気がします。


ライト兄弟は翼に人を乗せて浮上させる技術に必要な、安定した気流を求めて、ホームタウンのオハイオ州デイトンから、ノースカロライナ州キティーホークの砂浜へと向かいました。 

 

そこで、夏から秋、または秋から初冬の季節に4年続けて実験をして過ごし、そして動力飛行の達成に至りました。

 

ペンシルロケットの発射実験が行はれた、国分寺の武蔵野台地の南端と、ライト兄弟が飛行したキティーホークの砂浜が、とても近しく思えてきました。