土地家屋調査士法人 えん の堀越です。
当事業所のスタッフは、ご依頼を頂いたお客様の土地、建物の調査・測量業務に従事して、
日々、首都圏近郊地域へと出かけています。
指定の土地の住居表示地番を頼りにして、国分寺事業所・中野事業所から
測量機材を積んだ自動車で現地に向かいます。
カーナビゲーションに地番を入力して、現地へと向かう時、同僚と測量業務を
行っている時、私は、ふっと伊能忠敬という人が地図作成という新たな目的を
得て偉業を成し遂げていく日々の、彼の人の呼吸のようなものに接しているか
のように、親しく感じることがあります。
暦学、天文学を学ぶために佐原から江戸へ向かった伊能忠敬は、一町人という身で、
幕府天文方となる高橋至時(たかはし よしとき)という人と会い、教えを受けるよ
うになります。この時、高橋至時も同門の間重富(はざま しげとみ)という人と
ともに改暦御用従事のために、大阪から江戸へ来たばかりの時期にあたります。
師 高橋至時のもとで、暦学の習得と天文学・天文観測実技の習得に没頭しています。
正確な暦を作り、重大な日食・月食の或る地点における正確な日時を算出する為にも、
地球という一つの世界においての位置を、よりいっそう明確にしなければならない。
いつしか師弟の間で、まったく同じ考えを抱くようになっていく。
地球子午線上の緯度1度の地表距離はどれだけであるのか? それが判れば、360倍で
地球の全周距離の近似値が得られる。そして、天文観測をしている地点をより明確にできる。
伊能忠敬という人は、独自に行動し、それを実行してしまった。
私設天文台と呼ぶべき深川の自宅・天文拠点から蔵前橋近くに在る浅草天文台まで、緯度1度の60分の1にあたる緯度1分の距離を実測してしまう。
江戸御府内で何の許可も得ずに測量を行った事と、緯度1分という実測値が持つことになる誤差について、師 高橋至時は伊能忠敬に注意を促している。
師より高齢である伊能忠敬が、自ら緯度1分の子午線長を実測してみせたこの事こそが、師と共に実現していくその後の大事業の始まりの真の一歩となったのだと私は思います。
江戸を方位の中心として本州をみると、富士山が見えて太陽が沈む西の方向に緯度線に沿うように西国が延び、日光東照宮の在る北の方向に経度線・子午線に沿うように奥州、南部、津軽の地へと延び、蝦夷地の対岸となる。 幸いな事に、江戸の少し東側の子午線に沿って遥かな陸路が北の方向に延びている。
伊能地図の恩恵に浴している現在でこそその事を知りもするが、伊能地図以前の当の本人達も、なぜ蝦夷の方向に向かって距離の測量をすべきなのかを承知しているようだ。
暦学・天文学のために長い距離の測量をしたいという願いは、それを実現させるために、
暦学・天文学の知識を基礎にした、応用としての地図の作成という事業となって実現する。
その地図は、海沿いを丹念に辿って測量し、海岸線を描き出すものです。
師の発案による蝦夷地地図作成の測量は、試みの事業として幕府の了解を得、伊能忠敬は測量隊を編成し、江戸から子午線長の測量をしつつ北上し、津軽海峡を渡り、蝦夷の地を踏む。 そして函館から海岸線を東に進み、地図作成の為の初めての測量作業が始まる。
しかし、試みの事業という制限によって、根室の近くまで進んだ所で引き返している。
子午線長の測量という本来の目的をすでに果たし、伊能忠敬自身がほとんどの経費を負担して行はれる事業であること、高齢の伊能忠敬と測量隊の安全を考えると、試みの事業として日数を制限したのは、許可者の配慮であったのかもしれない。
初めての測量により後日完成させた地図は、蝦夷地の一部ではあっても、当時の和人が安全に往来できる充分な地域の地図であったのだろうか。 それを眼にした江戸の役人は、検証不可能な遥か遠隔地の地図でありながら、荒唐無稽の物であるような疑いなどは抱かずに評価し、その後の大事業へとつながっていく。
この初めての蝦夷地への測量行で、伊能忠敬は、師 高橋至時よりもさらに年若い間宮林蔵という青年との出合いがあったという。
一部分が描かれたのみであったこの蝦夷地の地図は、間宮林蔵が江戸でも度々伊能忠敬を訪ねて、習い覚えた測量作業の実施によって、後年、完全なものとなる。
伊能忠敬という人の行動は
まるで幕末の志士のような活力に満ち、
師 高橋至時という人と出会い、
測量実現を後押しする人々がおり、
共に測量作業に従事する職員を得、
間宮林蔵という青年と出合い、
一枚一枚の和紙の平らな面に地図を編集する人材に託して、
大日本沿海與地全図というものが完成していく。
師 高橋至時を先に亡くした伊能忠敬は、後に
師のそばに葬られることを遺言し、そのとおりに
東上野の源空寺の墓地に眠っています。
富岡八幡宮の境内に建つ伊能忠敬像。
伊能忠敬 住居跡碑。
間宮林蔵 墓所。
浅草天文台跡。
高橋至時、伊能忠敬 師弟の眠る源空寺墓地。
現地には、石碑や解説の看板がしっかりとしていて、
平坦な地域ですので、またいつか、それらを巡って
ゆっくりと、江戸散歩に出かけようと思います。




