※文中に出てくる「トップダウン」ですが、これは目標を変える、という意味であり教え方はABAを多用しました。同じABAでも何を最後のゴールにしてその課題をやるか、というそういう感じですね。

「普通の人と同じ方法で同じにできる様になること」だけがすべてではなく、ずっと壁にあたってしまったときは目標を変える事で道がひらける可能性がある、という事をお伝えしたかったのです。

 

 

こんにちは

 

※昔の、ですので現在ではないです↑

本日は、かつて子どもの療育の仕方を学ぶ為に大変お世話になったNPO法人つみきの会の皆様へ、そしてつみきの会とは特に関係なく、私の最初の手記「ママと呼んでくれてありがとう」(株式会社学研 Gakken)を読んでくださった皆様へお伝えしたい事があり、投稿いたします。

 

この度、私が2012年に「学研」の名で日本では親しまれている株式会社Gakkenよりこの1年も電子書籍「ママと呼んでくれてありがとう」を沢山の皆様に新たにお読みいただいた事、ご連絡いただきました。

お手紙をいただくときは、出版のことであろうことは想像がつくものの、私自身が自分が生きる闘い、でもがいているうちにも数多くある本の中から見つけて下さり、お読みいただいていた事うれしくて泣けてきました。

そして、会を卒業している今、直接昔のように今の時代の会員の皆様とお話する機会も読者になってくださった皆様にお目にかかる機会もないのでお礼を申し上げたいと思ったのです。

 

早いものですね。

太郎が最初の診断をされてから・・・15年以上の月日が経ちました。

彼は今、おかげ様で17歳です。

小さい頃は1分もまともに座って遊ぶなど別次元で、とにかく暴れて泣いて生活自体が破綻しかけるほど、食事も歯磨きもお風呂すらムリ・・・そもそも、誰が親だか分からない、という状態にあった日々を今でも思い出します。

 

今は事業所やABAのエージェント、ABAの専門の先生のオンラインコンサルなど色々な選択肢が昔よりあるようですが、私の子育ては一昔前どころではないずっと前の時代。

自分でABAをやらざる得ない、もしABAをやろうと自分が親としてのぞむなら・・・・私自身もそういう地域性、環境の親の一人だったと思います。

 

太郎は今、ASDでよく言われる社会性の困難はなくなりました。

ここは・・・皆さんが一番知りたいところかと思いますのであえて一応書きます。

不思議なことに・・・この社会性については少なくても親である私にとっては共感性が高く、むしろ繊細過ぎるくらいの青年に成長しました。

ほんの一瞬でしたけれど、ちょうど2012年のママと呼んでくれてありがとうの終わり方の延長上で「もう心配することはなにもない」という状態が訪れた後、実は隠れていた別のハンディが判明しました。

最初から今日までの日々を若い頃の私が知っていたら気が狂ってしまったかもしれません。悲しみで。

 

でも、運命だったのかな。

もともと、ABAをやっていた延長上に次の診断がついたわけです。

ですので、私の中では「闘う」用意が出来ていました。

だから、合理的配慮を太郎に早期に教える事が出来ました。

 

ABAでも残念ながら限界があります。

太郎はその障害の壁を次々乗り越えたけれど、やはりどうしても乗り越えられない事に最後に直面しました。

 

その時に私は。

長年、努力すれば叶う、というABAである水準まで引き上げようと膨大な時間をかけて努力してきたそのものを続けるか

あるいはトップダウンして目標を変えるか・・・の岐路に立つことになり。

 

「トップダウンを今。する」を選択しました。

間違いが多く後悔だらけの私の人生の中でしたが、この決断だけは

本当に良かったと思える事の1つです。

あのままボトムアップだけをABAで続けていたら現在得られたものはほぼなかったと言えます。本当にギリギリの選択でしたけれど、小さい頃から太郎を見ていて療育をしてきたからこそ、むしろ、その時は絶対と信じていたやり方を手放し新しい目標に切り替える事が出来たと思っています。

 

今から、療育する皆さんにとってはトップダウンをする時期ではなく、ボトムアップの時期がしばらく続くだろうとお察しします。

しかし、ブレーキとアクセルが安全な運転には必要なように知識として

両方知っておくとたぶん、将来、お子さんや家庭が危機になったときに、突破する鍵になる可能性があると思います。

 

私の2012年の本は純粋にボトムアップの本です。

あの本の中で恐らく私はバリバリに戦い続けており、「トップダウン」は選択していない時期なのです。

ただ、ここまで長く歩いてきた経験からあれだけは足りない部分があるのでこれからの方には色々な道、色々な方法があり、何かの水準まで子どもがいけなくても目標を変える事で私たちは生きていける、可能性があるとお伝えしておきたいと思います。

 

なお、まだバタバタとしており、つみきの会にご挨拶出来ていない状態なので多くは控えますが 会を卒業する際のお約束を

この度、無事に果たす事ができました。

応援してくださったすべての皆様にお礼申し上げます。

 

と同時に、太郎が成長して自分の意思で歩いている以上、現在のことを私がSNSで勝手に発信出来ないというジレンマはあります。

 

ただ、前々からお話している通り、私は勤め人でして、療育を自分で生業ともしておりませんし、会社経営など個人事業をしておりませんので「名前」をあえて名乗る必要性はない、とも考えております。

名前ではなく、今までの歩みがどなたかに少しでもお役に立てたなら、そう願っております。

 

今後、どのようなタイミングでどうすればいいのかちょっとこの件は昨年から答えが出ず、つみきの会の現在の会員で信頼できる皆様、また卒業生の多くの友人、先輩方にSNSでの発信を控えて頂いていてすいません。

 

ご縁が今、直接ない方々、あるいは今も変わらずお話している方々色々ですがどの方々にも感謝しており、そして、志は自分の中で進化させながら発達障害のお子さんが安心して教育を受けられる様にこれからも努力をしていくのでこれからもよろしくお願いいたします。

 

太郎は今。大学入試に向けて高校の勉強と大学の受験準備を必死で一人で頑張っております。

太郎を見守りつつも、私は、太郎のような辛い思いをする子を学校で出さなくて済む様に頑張ってまいりますね。

 

今、このブログも最終章となっております。

ラストに見えた事は必ず公開で書ける範囲で皆さんにお伝えしたいと思っています。

それが沢山読んでくださった国内外の皆様への・・・私からの精一杯の感謝の気持ちを表せる機会だと思っております。

あと半年ほど、もしよろしければ公開記事でのお付き合いのほどどうぞよろしくお願いいたします。

 

杉本美花

 


(療育はすべてを叶えるものではなく、分かりやすく子どもに働きかけていく事でその子どもの出来る事を増やせる可能性がある、と私は今は捉えております。これはあくまで一個人の体験にすぎません・・・一人ずつ違うのが発達障害ある子どもたちの困難です )