最近ブログを書いていなかったので、久しぶりの記事がこのような内容となってしまうこと、どうか、ご容赦ください。

 

 

出資馬 ウインディオーネ

2024年3月23日 阪神競馬場 第9レース 君子蘭賞

レース中に故障を発生し、競走中止。

その後、予後不良の診断が下されました。

 

 

これを書いている今も、自分が書いた内容が理解できていません。

あまりにも突然のことで、何がなんだか、わかりません。

 

 

思いの丈、今の感情、今日見たこと、聞いたこと…

色々な言葉や気持ちが頭の中でごちゃまぜになっているので、整理して、残すために、久しぶりにブログを書くことにしました。

本当に、今思っていることをただ書き連ねます。

駄文・散文、ご容赦いただけましたら幸いです。

 

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①現地でのこと

 

今日はディオーネとメラナイトの2頭が出走するということで、現地にいました。

午前中、第2レースに出走したメラナイトは、少しだけレースぶりにも進展が見られ、参加したレース報告会では、ウインの片山さんも安堵の表情を浮かべてお話をしてくださいました。

 

午後に出走を控えたディオーネは、2ヶ月ぶりのレース。

前走が中山、前々走が新潟で、私は遠方で会いに行けていなかったので、昨年10月以来久しぶりに会えるということもあり、楽しみにしていました。

鞍上にはイケメンでおなじみの坂井瑠星騎手ということで、愛馬と騎手のコンビをどこで見よう、どこで撮ろう、なんてことを色々考えていました。

 

 

パドック。

久しぶりに会ったディオーネは、相変わらずトモに少しの線の細さを感じさせながらも、体全体がふっくらとしてきて、いくらか頼もしく見えた気がしました。

阪神のパドックは観覧エリアが一段低いので、間近だとかえって柵に遮られて見づらくなってしまいますから、最初は少し引いた高い場所から写真を撮り、その後、近くに行って周回を眺めていました。

 

その後は馬場入りをいい位置で見るために、早々にパドックを離れました。

今思うと、もっと長く、時間ギリギリまで、近くで見ていたらよかったと。

文字通り、後悔先に立たずでした。

 

 

レース。

好スタートを決めたディオーネは、果敢にハナを主張して先手を奪います。

いいぞ、いいぞ、と心の中で声援を送りながら、ペースは大丈夫かな?ここで落ち着きたいね、と見守っていました。

 

それは、ちょうどスクリーンを挟んだ向こう側。

直接視認できない位置で起こりました。

 

最初は、他馬にぶつかられるなどして、走る気を失ってしまったのかと思いました。

が、実況の方が「アクシデント発生」「競走中止」と言っているのがはっきりと聞こえました。

 

それでも状況が飲み込めず、レースが終わるまで、ただぼんやりと、目前にさしかかる馬群を眺めていました。

愛馬のいない、6頭の馬群を。

 

 

レース後。

一観客にすぎない私にとって、クラブなり主催者なり、公式からの情報しか詳細を知るすべはありません。

競走中止でもレース報告会はあるんだろうか…と考えながら、また、聞くか聞かないか非常に迷いながら、それでもやっぱり、ディオーネが心配だから、行こう、と。待つことに決めました。

 

阪神競馬場でのレース報告会の集合場所は、掲示板の前。

眼前のモニターでは、直前に行われたレースの映像が繰り返し放映されています。

もちろん、ディオーネの故障の瞬間も。

 

顔を上げるたびに目に入るレース映像につらさを感じながら、ディオーネの無事を祈り、不安と戦っていました。

最悪の事態という言葉がふと脳裏をよぎっては、それをかき消す、という葛藤を繰り返していました。

ディオーネは大丈夫、信じよう、と。自分に言い聞かせました。

 

 

永遠とも感じられるほどの待ち時間の末。

ディオーネのゼッケンとおぼしき黒い布を携えた片山さんが、こわばった表情で歩いてこられました。

そのただならぬ様子に、身の毛がよだつような、ぞっとする違和感を覚えました。

 

いつもなら声と表情で会員を誘導する片山さんが、終始無言。

それに無言でついていく私たち会員。

 

 

レース報告会。

全員が不安な表情を浮かべてうつむく中、少し間をおいて、片山さんが重い口を開きました。

 

「……助かりませんでした。」

 

悪い夢でも見ているのかと思いました。

その場では、すすり泣く声が次々と漏れはじめ、少し遅れて言葉の意味を理解した私も、涙が溢れ出して、前を向いていられなくなりました。

 

沈痛な面持ちで、冷静に、淡々と、状況を伝えてくださる片山さん。

言葉の端々から、やりきれない気持ちを抱かれていることが伝わってきて、それもまた、つらくて仕方なかったです。

 

そして、ディオーネの予後だけを伝えるレース報告会は、すぐに終わりました。

終わってしばらくは、悲しむ人、呆然と立ちつくす人とで、誰もその場から動くことができませんでした。

 

すると、片山さんがゆっくりと、携えていた黒い布を広げました。

 

「もらってくるか、悩んだんですが…」

 

やはり、ディオーネのゼッケンでした。

 

特別戦だから黒いゼッケン、というだけなのですが、状況が状況なだけに、喪服や喪章を想起してしまい、胸がさらにぎゅっと締め付けられました。

さすがにこの状況でゼッケンを持って写真に写りたいという人はいなかったものの、片山さんが気を利かせて、ゼッケンに触れる機会を設けてくださいました。

 

涙を流しながら「ディオーネ、ありがとう」と言ってゼッケンを撫でる人たち。

私も、こぼれそうな涙をぐっとこらえて、そっとゼッケンに触れました。

 

 

真っ黒な生地に刻まれた、「ウインディオーネ」という名前。

私を初めて競走馬の名付け親にしてくれた、孝行娘の名前。

期待をたくさん背負って、まだ見ぬ未来にたくさんの夢を持たせてくれた名前。

誇らしくて愛らしいその8文字が、涙で霞んで全然見えませんでした。

 

 

本当は、レースを見て、報告会を聞いたら、まっすぐ帰るつもりでした。

しかし、どうしても涙が止まらず、とても電車に乗れる状態ではなかったので、一度館内に引き返して気持ちが落ち着くのを待つことにしました。

 

ところが、落ち着こうとすればするほど、頭の中をぐるぐると回る、今見せられた事実。

ディオーネとのこれまでの思い出が駆けめぐっては、「この続きはもうないんだ」と頭の中に響く誰かの声。

考えれば考えるほど悲しさがこみ上げてしまい、とても落ち着くことなんてできませんでした。

 


外に出て、涙で火照った顔を冷たい風が撫でると、少しだけ、気持ちが落ち着くような気がしました。

予報ほどに気温の上がらなかった外の冷たい空気が、このときばかりは少しだけありがたかったです。

 

外の風に当たっていると、残っていた会員さんと話をされていた片山さんが引き上げていかれるところでした。

片山さんと目が合ったので、報告会のお礼をと思い、「ありがとうございました」と会釈をしました。

私の声は誰がどう聞いても涙声で、見苦しい挨拶だったと思います。

片山さんも、沈痛な面持ちのまま、静かに挨拶を返してくださいました。

 

報告会は、陣営の方々の生の声をすぐ聞くことができる、素敵なサービスだと思います。

けれど、これほどに切なくて悲しい報告会があるとは、今日までは全く想像したことがありませんでした。

 

 

いつまでも競馬場で泣きじゃくっているわけにもいかないので、冷たい空気で無理やり悲しみを覆い隠して、帰路につきました。

少しでも意識するとあっという間に涙が溢れてくるので、我慢するのがとても大変でした。

 

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②ディオーネへの気持ち

 

以前の記事でも書いたことがありましたが、「ウインディオーネ」という名前は、私が応募したものを採用していただいてつけられた名前です。

クラブの命名方式の性質上、「去年は応募しても採用されなかった案が、翌年に別の人が出したら採用された」というケースが多いのは承知していますので、もちろん、私だけに独創性のある名前だとは考えていません。

 

それでも、クラブから「あなたの案を採用して命名しました」と連絡をいただき、ディオーネと私の名前が刻まれた記念品もいただきましたから、ディオーネの命名者が私である、ということは、事実と言っていいと思います(私以外にも、複数人いるかもしれませんが)。

 

出資馬はみんな等しく愛着を持っているつもりですが、やはり、命名馬(しかも初めて)となると、思い入れが一段と強くなってしまうのは仕方ないことだと思います。

さらに、素質を褒められ、将来を期待され、2歳にして勝ち上がりを決めた実力の持ち主です。

私にとってディオーネは、数いる出資馬の中でも特に思い入れの強い子でした。

 

 

私に競馬を教えてくれた友達は、以前から「あまり情が移りすぎると、アクシデントがあったときにつらくなるから、ほどほどにね」とアドバイスをしてくれていました。

頭ではそれをわかっていたつもりでしたが、実際に起きてしまうと、やはり、全くもって割り切れなどしません。

それは忠告した本人である友達もそうであったようで、いつも私の出資馬を一緒に応援してくれている立場として、「いざ直面すると、かなりつらい」と、胸を痛めていました。

 

 

私の初めての命名馬は、私に初めて、「2歳での勝利」をプレゼントしてくれました。

当初の目標であった桜花賞は、成長曲線を考慮して見送られましたが、ゆくゆくは重賞戦線に名乗りを上げられるだけの力があったと信じています。

 

過去にディオーネが接戦を繰り広げた相手は、すでにオープン戦や重賞で実績をあげはじめています。

私は心が狭いので、ここだけの話ですが、そうやって出世街道を歩んでいく相手に対してかなりの嫉妬心も持っていました。

「ディオーネはまだこれからと言われているのに、そのディオーネが僅差で後塵を拝した相手はすでに活躍している」というのが、羨ましくて羨ましくて、「いつかディオーネが立派に成長したら、リベンジしてほしい!」とか、「ディオーネも将来は重賞戦線で活躍してほしい!」とか、「ウインの次の看板娘はディオーネに!」とか、色々な野望を密かに抱いていました。

 

そして、3年後くらいに、「お疲れさま」とお礼を言って、「お母さんとしても頑張ってね」と笑顔で第二の馬生へと送り出せるものだと、信じてやみませんでした。

 

 

ガラスの脚。競走馬は、本当に儚い存在ですね。

 

 

ウインディオーネ。

私を初めて競走馬の名付け親にしてくれた馬。

ウインディオーネ。

高い素質で、大きな期待を抱かせてくれた馬。

ウインディオーネ。

これからもっと、たくさんの夢を見せてくれると信じていた馬。

 

 

涙をこらえていた帰り道、競馬場速報のメールが届き、長谷川調教師からのコメントとして「先ほど天国へと旅立っていきました」と書かれていました。

報告会の時点では、片山さんの口ぶりからは「まだこれから」だったようでしたので、その時が来てしまったんだ…と、その速報ではっきりと突きつけられた形になりました。

 

いくら文字で読んでも、実際のところ、まったく腑に落ちていません。

それでも、ディオーネの身に起こったことは事実で、今後、私たちの前で勇姿を見せてくれることはもうないのだと、時間がかかったとしても、受け入れるしかありません。

 

 

私の自宅の玄関には、馬のグッズを飾るスペースを設けていて、ディオーネの命名記念品や優勝記念写真は、そこに飾ってあります。

 

今日、帰宅したとき、ディオーネの記念品たちが視界に入ってきた途端に、涙が溢れて止まらなくなりました。

 

毎日、ディオーネに見送ってもらって、ディオーネに出迎えてもらっています。

おそらく今後しばらく、家の出入りのたびに、切なくて悲しい気持ちになるのだと思います。

でも、いずれは前を向かないといけませんね。

 

もうしばらくこの気持ちに浸らせてもらってから、ちゃんと前を向けるように、頑張ろうと思います。

 

本当は、この言葉は、もっともっと先まで取っておきたかったけれど。

今までありがとう、ディオーネ。

たくさん夢を見せてくれてありがとう、ディオーネ。

 

どうか、安らかに。

 

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こういう言い方が適切かどうかわからないのですが、こんな悲しいことが起きてしまったのが、「よりにもよってディオーネ」というのが、本当につらいです。

やはり、思い入れのひときわ強い子でしたので。

今後、この子を語るときにあらゆることが過去形になってしまうのが、とても寂しいです。

 

それでも、まだ気持ちの整理がついていない今のうちに、思いの丈をたくさん述べたかったので、ブログを書きました。

本当にとりとめのない文章で、恐縮です。

もし最後まで読んでくださった方がいらしたら、頭が上がりません。本当にありがとうございます。

 

これからは、残りの子たちと一緒に、前を向けるように頑張ります。

 

 

 

最後に、今日会ってきたときの、ディオーネとの思い出を貼って、締めとしたいと思います。

 

 

ウインディオーネという馬は、今日、確かにそこにいました。