話が、いろいろ前後いたしましたが


おひなさまの話が、途中でしたので、懲りずに載せます


最後までお付き合いくださいませ


矢島のお雛様は


江戸時代初期は形代 の名残を残す立った形の「立雛」や、坐った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られていたが、これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物であった。

その後、時代が下ると人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」などが作られたが、これらは豪勢な金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた立派なものだった。

この享保年間から、人々の消費を当時の幕府 によって規制するため一時的に大型の雛人形が禁止された。

『御触書宝暦集成』十五では、「雛は八寸以下、雛諸道具は蒔絵は不可」という制限が見られる。

しかし、この規制を逆手に取り「芥子雛」と呼ばれる精巧を極めた小さな雛人形(わずか数センチの大きさ)が流行することになる。


そんなお雛様を、堪能できるのが、矢島のひな祭りです


古いものはとても豪華で、ただ単に観ていた私達に、内裏様の着物をしっかり見るようにと、教えて頂きました


気を付けて観てみますと、着物のがまるで違ったのです


贅沢禁止令が発令される前のお雛様は、それは、それは、豪ジャスでした


今回は、角館の時に漠然と撮影していた私は、今回は、女雛のお顔を中心に、特に、簪を中心に撮影いたしましたが、着物までは、気にしませんでした。


着物は、次回の課題にしましょう


今回は、お顔が命の女雛をご覧くださいませ


とても素敵な女雛ばかりでした



























ねぇ、これだけでは、着物の違いが分かりませんよね


次回は、色々、研究して撮影を楽しみます。


その時代風景が、お雛様に現れるのも面白い



今度は、何処に行こうかな


楽しみが、増えました


お付き合いありがとうございました



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