『大失敗!中国合弁工場顛末記』 第1話 | 隣の国なのによくわからない。。。だったら知ることからはじめよう

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『山田太郎、決意表明!利他の心を学びました!

社員と共に成長し続け
3年後、経常利益5000万円必達します!





8月2日、私の所属する経営者の勉強会で

卒業式が開かれた。100名以上の後輩達が

3年間の学びと決意を表明した。




彼らの決意を聞きながら、1

0年前私も同じ舞台に立ったのだ、

と心は10年前に飛んだ。

 

 

 

 

2003年、私の決意の言葉は、

高達を子会社化し、
製造直販事業に専念します!』

だった。
 

 

 

思い起こせば、1997年.
とある経営者の集まりで扶双化成工業の
社長と出会ったことから、
私の『大失敗!中国合弁工場顛末記』
始まった。

 

 

 

 


扶双化成工業は、昭和37年に創業した
作業用手袋の製造メーカーの草分けだ。
 
 
 
 
創業者のT社長は、理系のアイデアマンで、
軍手に樹脂を塗ることで、丈夫でで滑らない
手袋を考案。軍手の製造から、樹脂の塗布
まで日本国内で工場をいくつも展開した。
 
 
 
 
海外からの輸入も早く、韓国や
フィリピンなどあちこちに仕入先も広がった。
しかし自社工場を持ったのは、中国だった。
 
 
 

T社長は東海日中貿易センターに
仲介を依頼し、江蘇省無錫市の外れ
にある
長安純綿公司と
手袋製造の合弁会社を立ち上げる。
 
 
 
 
1992年に合弁が開業した時は、
市長や鎮の役人が集まり、
花火も上がるほどの盛大なもの

だったという。

 

 

 

 


1992年当時の中国では、
軍手を編むための原料、
いわゆる特紡糸も品質が
安定していなかった。
 
 
 
 
T社長は、紡績の機械を投入しており、
紡績から軍手の製造、最終的には、
樹脂を塗布する加工まで行い、
おいおい中国市場に販売
しようと考えてた。

 

 

 

 

しかし志半ばで、病に侵され、
闘病生活が始まり、会社の代表者を当時、
経営コンサルタントとして活躍していた
娘に譲った。同時に無錫の合弁会社の
董事長も娘になった。





そんな頃、私と扶双化成工業の新社長、
Nは出会った。

〔つづく〕

 

 

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