おはようございます 終戦記念日 半世紀以上前の話だが 戦後世代でも


少しは、戦争の実話を思い出す。


それは教科書で学ぶ事ではなく、もっとリアルな 非戦闘員の生活の話だから


無念な気持ちでいっぱいになります。


既に、殆どの人が亡くなってしまって、更なる証言は得られないのだけれど


私の亡き母は、大正14年生まれですから、青春時代を戦争に奪われてしまった


悲劇の世代 学生時代に軍事工場で訳のわからない部品を作らされて


その工場の行き来に、グラマンの青い戦闘機 (おそらく艦載機だと思うので


戦争末期の事だと思うが・・・) に 機銃で撃たれたが 弾は幸運にもかすりもしなかった


しかし、東京の八王子は鉄道の基地でもあったので、B29が単機でやってきて


油を撒き その後、焼夷弾を満載した大群が無差別に爆弾を投下して


木造家屋を焼き尽くす。 彼らは、爆撃の前に予告のビラを撒く


だから、そこにいるのは戦闘員だけだと信じて、躊躇なく爆弾を落とす


亡き母の実家は、不発弾でどうにか全焼はまぬがれたが、住める状態では


なかったらしい。不発弾は、丁度、押し入れの布団の積み重ねてあるところに


突き刺さっていたと言う。布団のクッションで信管が作動しなかったのか?


日本軍の兵隊は改修していったらしい。


大群で来るB29に体当たりする日本機そして、その墜落した機体や脱出した


パイロットが悲惨な目にあったのは言うまでもない。


なんせ本当に竹やりの訓練をしていたのだから、正気ではない。


亡き母は、長女だったので、家に残り、兄弟は安全な周辺の山へ逃げろと言ったらしい


当時は、序列が厳しかったし、毅然とならざるを得ない空気だったと言う


戦後は、復興復興 亡き母は、家を作るために、金が必要で、金持の家に


嫁に行く これも悲惨だ。その後、離婚し、2度目の結婚 その子供が私


その結婚も長くは続かず、母子家庭で、金の苦労を背負ってしまった。


私が働きだして、少しはゆっくりできたのかな?


少なくとも金の苦労は無くなったけど、失った青春時代が帰ってくる訳では無い。


学校の教育も180度違う事を言う教師に違和感を感じたと言う。


そして、アメリカの兵隊に皇室系の物品を売る人が多かった事。


高いお金や高価な缶詰めの方が大切だったからだろう。


刀や日本人形 なんでも売った。彼らも本国へ帰るのにお土産が欲しかったのか?


何だったんだろう?お国の為って?って感じだったそうです。


終戦の日が来るとこの手の話が走馬灯の様に頭の中を駆け回ります。


それを思えば、現代の平和ボケした社会 大丈夫か?って思いますね。


ありがたい事ではあるけれど、今でも戦火に苦しむ人々もいるし


他国に占領されて、弾圧されている国が、海をはさんで隣に沢山いる


これは、もう少し危機感を持った方が良いだろう。


9条が守ってくれたわけではないです。


米国の力は、偉大です。そして、日本は経済大国になり、その気になれば


憲法を改正して、恐ろしい国に変貌する怖さを持った国である事を


知っているはずなんですけど・・・


出来れば、変貌させないで欲しい気もするが、やる時はやる決断は必要だと


感じる。


ではでは


Good day!



C5
アメリカは強い国です