ここで文字書くの久しぶりです

 

人が観てないのが前提で

思い出を書きます

 

 

とあるお姉さんから

 

「よく 母子家庭で捻くれなかったね」

 

って言われたりするのですが

思い出してみると

母だけじゃない事を思い出しました

 

話は反れちゃうかもだけど

 

今 体育教師が国会で

云々言ってますよね

 

 

なんか今書いておかないと

忘れそうでw

 

 

 

 

中学の思い出です

 

 

 

 

 

 

 

 

中学は私立の予定でした

 

最初の親父に進められ
すでにカバンもそこの有名中学のカバンを
用意していました(成城という学校

     (戻って欲しかったのでしょう

 


が、母をおもってそれを断ち切り
公立に(区立)入りました

 

 

 

買いなおすのがもったいないから

3年間ずっと使っていたカバン

 

 

「なんで皆と違うカバンなの?」

 

何百回言われただろう

 

 

 

 

 

 

中学生の時の部活は卓球部でした

絶対に入らないといけないらしくて
結構悩みました

 


入った理由は
鍵っ子だったから児童館に

お世話にもなったときに
遊び卓球をやって大会で1位になった事
卓球部はうちの区では盛んに

区議会議員さんが(小泉としお)
後押ししているスポーツという事と
高校のスポーツ推薦でも後押し

してくれる事
道具がそんなに高くないと言う事

 

                で入りました

 

 

 


当時1、2年でキャプテンを務めました
上手い下手はどうであれ
(中学当時はベスト8が最高でしたが)

人をまとめて行くということで
がんばりました(*´∇`*)

 


 

クラスで

今では考えられないのですが

「生活保護の人 プリント取りに来て!」

 

 

勿論 私しかいない

 

 

当時本当に貧乏だったので
私のあだ名もストレートに
「貧乏」
と言った人が数人いました

 


本当だからしょうがないけどね
そんな人たちはシカトしていました

 

生活の為新聞配達だって

仕事場の人たちは優しかったし
誇りにおもってやっていました

 

 

えっと
中学生の頃は勉強に関しても酷かったです

今だから話せるのですが(中2までですね

 

 


実際に父親が代わった時の(中一の当初

出来事なのですが

中間 期末などで夜勉強で起きていると
電気を消され殴られました

 

小学生の頃から英語やら数学やらの中学レベル

の勉強してたのでショックでした

 

「お前なんか勉強しなくて良いんだよ!」

「電気がもったいねぇんだよ!」

 

 

と言いながら

教科書 ノートを

数回破かれました

 

 

 

理由は

その方が中学しか卒業していないからです

 

多分 勉強しているのが頭にきたのでしょう

 

 

 

 

教科書を見つかると破かれるから

アパートの軒下に隠したりしました

 

 

 

ある日の事 雨が降ったのを忘れて
軒下に教科書を取りに行ったら

案の定

教科書にびっちりカビが生えていました

 


数回 教科書を頼んでるから
先生もあきれて


「もうお前には注文受け付けない」


とまで言われて恥ずかしくて

理由を話せなかった

私も悪いのですが半年間カビの生えた

教科書を使いました



 

勿論
「うわ!カビが来た きったねぇ!」
          とか散々言われました

 

がそういうのはシカト

 

 

 

 


勉強 部活の両立は

絶対に無理なんだな

 

 

 

 

って思った事もあったけど
身体を動かして何か夢中になっていると
嫌な事も忘れていました

 

 

 

 

 

当時の部活(卓球顧問)
 里見先生
   (仮 体育教師 男性 

    SLUMDUNKの安斉先生を

            痩せさせた感じ
(大きな声では言えないけど

  実は体育教育委員会の

        偉いい人になってる


当時区長とつながりっがあったから真面目

 

キャプテンの推薦も里見先生でした

後から聴いたら 1番基礎が

しっかりしていたからだSOUです


 

先輩やみんなは 影で 

ガンジー (顔が似ています
なんてあだ名で呼ばれていました

 

 


いつも怒ってて皆からは嫌われていました

 

 

が私は里見先生が大好きでした

          \(o⌒∇⌒o)/



 


過去に

ムカつくから殴る蹴るではなく

 

コレはダメ

 

と 世の中に出ても恥じない

怒りをしてくれるひとが周囲に

いなかったから
 

私は里見先生の事は1度も

ガンジーと呼んだ事はありません

 

 

でも歴史上の人物としてガンジーは

尊敬しています
(ある意味私の中では先生は

     生き写しのガンジーです)

       (殴ってたけどねwww)

 

 

 

体育の先生なだけに太っていても

フットワークの出来るカットマン

 (スポーツなのに芸術的に綺麗です                                                  (知らない人松本大洋のピンポン観てね

部活生徒には
必ず上手くさせてくれる先生

 

 

人間的に人の特徴 性格 異変に気づくのが

早い先生でした

 

 

 

担任なんかよりも早く異変に気づく人でした


常に観ている!

 

のような千里眼の持ち主では

なかろうかなな先生





 


先生の家は私の家の近所で

大会の終わりは
江戸川の浅間神社土手のバス停から
大体2人きりになってお話します


 

厳しい先生でしたが親身になってお話できる
唯一の大人でした


 

「何か困ってる事があるのか?」

   が、口癖だったかも

 

 

 

 

雨の日 (1年生の丁度この時期の2月です

傘を忘れて傘に入れてもらいながら帰る

 

 

何か喋らなきゃ

 

私  たわいの無いことを喋る

 

 

emu「金杉(仮 クラブメイト) には1度も

    負けた事ないのに なぜか彼は 

     「私より強い!」と周りにアピール
     でしゃばるんですよね 

        彼は何がしたいのでしょう」


 

が先生にたいしたことない話の最初でした

 

 

でも、そんな事も先生はすでに知っていて


 

「お前が金杉なんかに弱いわけない
  というかお前の外部での努力や噂は
   勉強から何から8割近く知ってるつもりだ

    新聞配達だって早朝走り込み大変だろ」

 

 

(゜∇゜ ;)エッ!?  と思った


 

アルバイトの話なんて保護課の

区役所職員以外話したことない

 

 

自分には観てくれる人がいたのか?

                   な?

 

 

中学生の当初時から馬鹿にされても

人を傷つけず(親近所に迷惑かけるから
ずっとずっと我慢していたこと
その事に関して全てを話して

初めてその事で人の前で泣きました

 

ずっと強がっていたから

なんかの拍子でピンが取れた感じで

立ち竦んじゃってブワワワワーって

何もかも忘れて泣いてしまいました

 

 

そんなこんなで
先生は色々調べたみたい


後に


まずは担任と大喧嘩(教科書の事など
後から来た副顧問の先生を解雇

 (さんざんこの副担任は

  裏で生徒に暴力振り回してたので

   他の学校に飛ばされました

    最初の副顧問は先生の妹 

     新居(仮 先生 産休で代

    わっちゃったんだ アメとムチでした
私の家庭(義親父と大喧嘩 後離婚
私を馬鹿にした生徒をボコボコに、、

  (なんか凄かったらしいです
 団体戦ができる人数だけ残し 

  後は切り落とs、、、、
                など、、、、、


(今では考えられんが本当に

          やってくれた先生です


 

 

だから勉強やクラブ 

成績は期待出来るように残したかった

 

 

クラブやってたから

勉強の成績落ちたなんて言わせねぇ

と常に思っていた


 

ある意味 勉強ができる時間が出来た

だけでも天国だった

ラジオの深夜放送も いっぱい聴きました

 

というか卓球部はスポーツでも

勉強でも成績悪い人は切り落とし

事情通の人は別として
 

 

自分の為ではなくて先生の為にも

いつも先生の側近でレギュラーにいたかった


 

一試合すると負けても勝っても

正座して報告に行くのです

 

負けると無言で(渇で)

太ももにラケットで叩かれるが


 

勝つと怖い先生の顔が

なんか微笑むんですよね

 

「そっかぁ!」 とか

「よし!」    

      いあ、マジでCM全日警の金田ばり

 

って言われるというか

 

勝った時の笑顔見たくて


 


間違った事は言った事ない先生

であっただけに

 

「この人の教えを裏切ってはいけないんだ!」

 

って常に思って戦いに挑みました


 

 

 

 

 

 

 

 

家族以外の

人の為に、、、が 初めてできた 
   (かどうかは知りませんが


そういう気持ちになれたのがこの中学の
2年の頃でした

 



 

 

名前もコロコロ代わるし

馬鹿にされる対象でもあるし

人生なんて先は長いんだから

みたいな感じで

高校デビューまでは

じっと我慢してました

修徳高校に推薦決まってたんだよ

でも江戸川高校行っちゃったw
中学時代は 親友もつくらなかったのは
そういうこともあってです(*'ー'*)♪

 

 

 

子供の頃に名前代わるのってある意味

地獄なんだよね

 

私はいつも頭の中はハンムラビの教えに

近いんですけどね

(所謂目には目を歯に歯を)

 

怖くても
こういう人がお父さんが居たら

良かったのに


  って 

 

いつも思ってます\(o⌒∇⌒o)/


ある意味理想の一つの

お父さん像だったりします

 

「よくやったな、シンジ!」

いあ、、その男は違う 理想ではない

 

 

体育教師 最近はいらない とか国会で

言ってるけど

私こんな先生で育ったから

居て欲しいなって思うんだ


 

 

おいまい

 

 

おくづけ

 

実は以前東京に出てきた

eriちゃんも私に似て

そんな感じに近い状態で育ってるのを

知り合った当初から知ってたから

似たもの同士だなぁwって

 

で、なんらかんらで歳が離れてても

お友達だったんですヾ(=^▽^=)ノ

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

KUNOU (Pain)

 

 

 

産まれてきた訳を胸に問いかけ

 

だけど答えは何時も出ない

 

踏み出した道は何もなくてそれが真実で

 

ただ戸惑うばかり

 

脅える心は何時からか 争いの種をつくり

 

私はただ 戦う事で不安を紛らわす

 

 

傷ついて初めて痛みを知った

悲しみは押し寄せる波のように

私はこの身を守る事で

ねぇ?誰かを傷つけた?

 

 

 


途切れ途切れに浮かんでは消える

 

愛する気持ちを覚えてる

 

生きている事に希薄で流されるだけでも

道は続いてく

 

押さえきれない気持ちさえ 生きる力にして

 

積み重ねた 出逢い越えて 私は歩き出す

 


ありふれた日常の中にある

望まない争い なぜ?終わらない

生きてる事の重さを知って

いつか人に優しくなりたい

 

 

 

 

 

明けない夜はないように

心に光射す日を願うけど

私はただ戦う事で不安を紛らわす

 


傷ついて初めて痛みを知った

悲しみは押し寄せる波のように

私はこの身を守る事で

ねぇ?誰かを傷つけた?

 

ありふれた日常の中にある

望まない争い なぜ?終わらない

生きてる事の重さを知って

いつか人に優しくなりたい