桜が咲く季節に
こんにちは^^
先週の土日は桜が満開みたいでどこもかしこもお花見の人であふれていましたねー
お花見された方はいらっしゃいますか?
私は昨日代々木公園にちょこっと遊びに行ってきました♪
地元が上野公園が近いので、毎年上野公園の桜を見ながらお花見客の間をすり抜けほいほいとあの混雑した上野公園をランニングしてるんですが。笑
今年はめちゃくちゃバタバタしていて上野公園にもお花見いけないしランニングもできてないわ><。
と自覚するようになり
それから音楽の授業が苦痛きわまりないものになり、
歌も口パクで歌わなかった。だって歌えばまわりから笑われてからかわれるんだもの。
歌に関わらず日常会話でもやはりこの声の低さとハスキーさは当時の男の子も声変わりがまだな小学生の間では非常に浮き
この声のせいで随分イジメられました。
私は気が強いので泣くなんて格好悪いし落ち込むようなそぶりも見せられず、いつも男子と喧嘩になり
そのたび先生からも「絵夢は喧嘩っぱやい問題児」扱いをされていたこともありました。
音楽の授業は口パクで済まされるけれど、問題なのが歌の試験のとき
一人ずつみんなの前で先生の伴奏に合わせて歌わなければならない。
仮病をつかって保健室にこもったりありとあらゆる手を使って逃げ続けました。
後でこっそり休み時間を利用して、誰もいない音楽室で先生と二人・歌の試験を受けていました。
本当は大好きな歌だったからこそ
辛くて苦しくて悲しくて
何度この喉ごとつぶしてやろうかと思ったことか。
一人で保健室への道のり涙を何度も流したのを今でもはっきり覚えています。
でも音楽は大好きだった。
だからそんな音楽の授業態度だったけど
リコーダーの試験ではもちろんクラスでいつもNo,1だったし、学芸会の合唱のピアノ伴奏はいつも私が弾いていた。
5年生にあがるとずっと憧れだったブラスバンド部に入部してベルリラを担当し、全校集会ではピアノ独奏をいつも集会係りから任せていただき色んなカバー曲を弾きました。
でも歌だけは・・・・
そんな風に歌から逃げに逃げ続け中学生になりました。
やはり音楽の授業が憂鬱だった。
そんなとき出合ったのが先日亡くなられた音楽の伊藤先生だったのです。
彼はとても公立校の教師とは思えないほど破天荒な先生で、昔バンドをやっていた経験があったのか
ギター・ベース・ドラム・ピアノ・歌、どれもなんなくこなしてしまい
(失礼にあたりますが)見た目もしゃべり方もちょっと恐くてなんかヤクザみたいだった。笑
でもすっごく気さくで飾らないし、おべっかも使わない。オープンで堂々としていて授業もすごく楽しい。
どんな不良生徒も彼の音楽の授業だけはきちんと受けていた。
今まで習ってきた音楽の先生とは明らかに違う何かを持っていました。
そんな伊藤先生にこっそり今までのことを話すと
「ちょっと歌ってみな」
と言われ、伴奏なしに(伴奏がなければ自分のさじ加減でキーを下げて歌えるから)ちょっと歌ってみました。
先生は「そんないい声してるのにもったいないなー。アルトなら出るはずだよ。そうだ、お前アルトのパートリーダーやれよ!」
と。
私的に「えええええー!?!?先生あたしの話聞いてました!?」
って感じだったのですが、あまりにニヤニヤしながらガハハと大笑いしてる先生が優しい顔で真剣に言うので
まぁアルトというパートならなんとかなるか
と、今までの私では考えられないようなことに挑戦することになったのです。
それからでした。
もともとずっとピアノをやっていて音感は強かったので、なかなか最初は作るのが中学生には難しいハーモニーというものもすぐに飲み込むことができ、
アルトパートの同級生の前でソプラノのパートリーダーの子と二人でハーモニーを作って綺麗にはもってデモをしたり
アルトパートの皆に指示をだしたり、お手本として歌ったり
どんどん学校の音楽の授業が大好きになっていきました。
ことあるごとに先生は
「頼りにしてるんだからなー!いい声してるんだから自信もて!!皆そういう個性的な声がほしくったって手に入らないんだ。自慢できるんだよその声は。だから大切にするんだぞ!」
とまっすぐに私と向き合ってくれました。
今までの先生は見て見ぬフリ、めんどうごとは極力関わりたくない。というスタンスで愛想笑いをしていたのに
伊藤先生だけは本音で接してくれて、まっすぐ私と向き合ってくれて、嫌いだったものを素晴らしい個性だと認めてくれて、それを活かす道標を与えてくださった。
それからです。
「この声だからこそ出来ることがあるのではないだろうか」
「人から馬鹿にされても、からかわれても、虐められても、それさえも武器にしてプラスに変えられるものがあるんじゃないだろうか」
歌を唄おう
と心に決めたきっかけでした。
そして今日に至ります。
今日の私があるのは
きっと伊藤先生のおかげ。
先生と出会っていなかったら
きっと私は嫌いなものから逃げてばかりの臆病者で
好きなことに蓋をしてみないよう、気付かぬようにして生きていたと思う。
そんな私に「人と違うものは最大の個性であり武器となる」
ということ
そして何より「歌が好き」という気持ちをもう一度持たせてくださった伊藤先生。
57歳という若さでこの世を去りました。
お別れの会には数え切れないほどの生徒が集まっていて
未だかつてこんなにたくさんの方々に囲まれた告別式を私は見たことがないくらい
供花させていただくのにも2時間近く時間がかかり、その後も会館の歩道にはたくさんの涙を浮かべた生徒たちがところ狭しと並んで供花するために並んでいた
きっと本当に生徒を愛して、生徒からも愛される素敵な先生だったんだな。
そう強く感じました。
中学校を卒業してからはほとんど会う機会もなく
ここまできてしまいました。
いつか全国リリースしたCDを先生にプレゼントしにいこう
と思っていました。
いつか
と。
先生はいつまでもかわらずあのちょっといたずらっぽい笑顔で私を迎えてくれるんだと
勝手に思っていました。
目を閉じたまま優しく微笑んでいる先生と久々に再会をして
「いつか」という言葉はこの世にないんだと
そんな当たり前のことを強く思い知らされました。
涙が自然とから後からあふれてきて
前が滲んでよく見えなくなってしまった。
笑顔でお別れできたのは
式場を後にして大分経ってからでした。
大切なことを私に教えてくれた伊藤先生。
伊藤先生と出会ったのもちょうどこの4月、
桜が満開のあの中学校でした。
もう二度と言葉を交わすことはできないけれど
歌を直接聴いてもらうこともできないけれど
先生が教えてくれた「歌」というものを
私はこれからも大事に大切にして歌っていきます。
どうか先生のいる天国に
これからは私の歌が届きますように
精一杯唄うので
見守っていてください。
限りあるこの命を 先生がくれた希望の歌を
ずっとずっと唄い続けていきます。
桜が咲くこの季節に、あなたに贈るアイの歌
どうか届きますように
どうか安らかにお眠りください。
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
2012.4.6
絵夢