今日は8回目の命日でした。 | 【愛媛・松山】丁寧に、楽しく、好きなものと暮らす

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『アート・香り・ファッション』など、好きなものと、丁寧に楽しく暮らすために、「わたし」が心地よくいられる、小さな選択と工夫を日々の中に集めています。
暮らしの中に、自分の感覚を取り戻すようなそんな時間を一緒に楽しんでもらえたらうれしいです。

今日は先代パグの文太の命日でした。

7月17日。

717。

この並びを見るたびに、いつも文太のことを思い出してしまいます。

 

 

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16年と126日、一緒にいてくれました。

若い頃から男前だったんです♡

しっぽもクルンクルン♡

チャームポイントでした。

 

 

 

13歳を超えてからは病気との共存生活。

この頃はまだ会社員だったので毎日毎日不安だったのを覚えています。

 

 

会社から帰るたびに文太が生きていてくれることに安堵したり、時には急いで病院に駆け込んだり、

大好きなお散歩に行けなくなった最後の3年間はおうちの中で過ごしました。

 

 

 

糖尿病と共に目が見えなくなり、てんかん発作も同時に起こっていたので、足がすっかり細くなってしまってました。

それでも毎日欠かさず行ったお散歩のおかげか、しっかり立って歩いてくれたり、

 

 

ご飯を待ってくれたりしてくれることが嬉しかった。

 

 

 

元気な頃にはなかなか食べてくれなかったご飯も、この頃にはペロっとたいらげてくれていました。

ご飯の中には咳止めのお薬や、時に膀胱炎のお薬もあったりしたけど、糖尿病でインシュリンを打ってたから、ご飯を食べてくれることが毎日のバロメーターだったんですよね。

 

 

 

こうやって座っていても、いつてんかん発作が起こるか分からなかったけど、

一緒の時間が何よりも幸せな時間でした。

 

 

こんなになっても、いつもわたしの隣に寄り添ってくれていました。

お風呂の時間でさえお風呂場の前で待ってくれてました。

よろよろと廊下を歩き、しっかり脱衣所まで歩いて来てくれてたんです。

 

 

夜が来るとまた明日からお留守番時間は大丈夫だろうかと、不安に飲み込まれそうになって・・・

ずっとその繰り返しでした。

 

 

 

そんな暮らしだったけど、今でもとても愛おしい時間だったなと思えます。

でも、13歳までは割と大病もせずに元気に過ごしてくれていたので、楽しい時間も多かったはずなのに、どうしてもまだ最後の頃の記憶でいっぱいなんですよね。

そして、やっぱり8年前の今日の日のことは忘れられません。

 

 

 

一つの命が終わる瞬間をこの手で受け止めました。

でも、もっとできたことがあるんじゃないかと思ったり、本当にこれで良かったのかと思ったり。

想いはいろいろです。

 

 

 

文太との思い出はずっとわたしの中で生きているので、この後に出会えたつんぷくとの毎日も、パグの最高のかわいさも、愛おしさも、命の大切さも、

これからもずっと大切にして行きます。

 

 

 

ホットケーキと卵焼きが大好きだった文太。

ホットケーキも卵焼きも両方作ってお供えしました。

 

 

 

 


 

今日は命について考える日ですね。

その後もわたしたちの元にはつんぷくがやってきてくれています。

これからも目一杯、パグズとの時間を大切にしたいと思います。

 

 

 

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