迷惑な日本人観光客 | ★アラスク★学校×ママ×子供×先生

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学校を真ん中に,ママと子供と先生を元気にしたい

こんにちは。

 

学校に通う子供とママ、先生、

そして学校を元気にしたい、

 

えむ@アラスク です。

 

はじめましての方、

アラスクってな~に?と

思われた方、

 

よろしければ

プロフィール をご覧くださいおねがい

 

 

元小学校教諭

プロコーチ

心理カウンセラー

海外・中東在住2児のママ

として、発信中ピンク音符

 

キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

 

昨日の記事の続きを

書こうとして、

 

うっかり昨日の記事を

丸ごと消してしまい

 

意気消沈しているえむです。

 

 

 

 

昨日の記事を書いていて

ちょっと思い出したことがありました。

 

 

それは、

中東のこの国に来たばかりの頃。

 

家族で

モスクを見学に行った時のことです。

 

 

 

モスクとは、

イスラム教の教会のこと。

 

大抵、モスクには異教徒が入れないのですが、

私たちが行ったモスクは

イスラム文化を知ってもらうために

珍しく異教徒にも開かれたモスク。

 

 

ただ、異教徒とは言え、

入るためのルールがあります。

 

 

それは、

長袖長ズボンなどで

ほとんどの肌を隠す。

 

女性は髪も隠す。

 

 

ですが、

ほとんどが暑い日、のこの国で、

 

観光客がそんな暑苦しい格好を

してこない場合が多い。

 

 

そんな時は

女性ですと

簡易アバヤが貸し出されます。

 

 

アバヤはこれね。

 

 

 

「簡易」ってどういうことかというと、

 

髪を隠すスカーフ(ヒジャブと言います)

自分の髪にうまく巻けない人が多いので、

 

服に帽子がついていて、

その帽子をかぶるようにします。

 

 

ほら、アレですよ。

 

ゲゲゲの鬼太郎に出てくる、

ねずみ男のような格好になるワケです。

 

 

 

 

 

 

ま、この格好で観光したいか、

と言われたら、そりゃ微妙ですが。笑

 

 

 

嫌なら、

それなりの準備をしてくればいい

だけの話です。

 

 

私は、嫌だったので、

自前のアバヤを持って行きましたが、

 

 

そんな私もねずみ男に見えてくる…。

残念。

 

 

カラーアバヤもありますが、

通常、アバヤは黒。

 

日本人の顔立ちって、

全身真っ黒に耐えられないんですよね。

 

中東の方々は

目鼻立ちがはっきりしていて、

 

瞬きをすると

風が起こりそうなほどのまつげがあるので、

(つけているので)

 

 

アバヤを着ると

そのお顔立ちがとても映える。

 

それに比べると

日本人、というか

東アジア人は、

 

アバヤに負けてしまうのです。

 

 

 

 

 

話がそれましたが…

 

モスク内を歩くと、

割と、このねずみ男の格好の女性が

いるワケです。

 

 

どこの国の人でも、

それを着ているティーンエイジャーは

居心地悪そうでしたが、

(そりゃそうだよね、お年頃ですもの)

 

 

大人でも

大騒ぎしている人たちがいます。

 

 

 

そう。

日本人です。

 

 

 

可愛らしい20代の女性の

2人組。

 

 

自分のその「ねずみ男」を

恥ずかしい、と大袈裟に笑ってみたり、

 

他の「ネズミ男」を探しては

なんやかんや言って、笑ったり…

 

目につく人を

キャッキャ キャッキャ

笑って通りすぎる

 

 

なんか…

自分もその人たちと同じ

日本人だと思うと、

 

恥ずかしかったですね。

 

 

 

美しいモスクの装飾を堪能したり、

ガイドさんの話に耳を傾けたりしている

他の国の人たちの中で

 

 

明らかに悪目立ちする。

しかもその1組だけではない。

 

 

 

その人たちを見て、

 

この人たちは、

イスラムの文化に触れたことより、

 

ネズミ男になって歩いたこと

 

 

が記憶に残るんだろうなぁ。

 

 

と、

残念に思ったものです。

 

 

 

当時の私の思いはここでおしまい。

 

昨日の記事を書いて

この出来事を久しぶりに思い出しました。

 

 

この女性2人組が昨日のカフェに居たら、

 

寒すぎるカフェに

ノースリーブや半袖でいる人たちが

気になって仕方ないんだろうなぁ。

 

 

 

日本人の中には

 

自分が他人にどう見られているか

を気にしすぎる人が

特に多いよなぁ、と。

 

 

 

 

人は人。

自分は自分。

 

それぞれがそこに居ることが

心地よい。

 

 

自分と同じではない人が

そこにいたって

いいじゃない。

 

 

同じ空間に

いろんな服装、

いろんな肌の色、

いろんな考え方の人がいて

 

いいんだよ。

 

 

 

多様性を認める、ということ。

 

 

 

それにはまず

 

 

自分を認めましょう。

 

 

 

今日の私もすべてマル!

私は私、これでよし。

 

誰かにジャッジされる必要はなし。

 

 

 

こんな風に考えられたら

心の中に

楽ちんな、心地良い風が吹く。

 

 

分かっているけど、

なかなかできないのもまた、

 

愛おしいよね。