最近、自転車の危険運転も、取り締まりの対象になったみたいですね。このニュースをどこかで見て、先日見た別のニュースの意味がわかりました。

 

自転車で飲酒運転をした人を、自分が怪我をしただけで誰も怪我をさせてないのに、犯罪者として扱って、この人については敬意をいくらか削減しても可、というような伝え方をする記事がありました。

 

人に対して迷惑をかける人や、人を人とも思わない対応をする人と出会うと、相手がどんな人かわからないうちに払っていた敬意から、いくらか格下げして、この人はぞんざいに扱ってもいいや、と悪い意味で特別扱いし始めます。尊敬すべき人間として扱っていると、人間が本来あるべき姿と比較して、腹が立って仕方なくなるからです。

 

この人は特別ダメな人で、敬称なんて要らないよ、というような扱いをすると、ダメな人だからダメなことをしても当然か、と割り切ることができるようになります。誰かがダメな行為をどんどん重ねていくと、だんだんと人間扱いされなくなっていき、最終的に一段下の別種族のように扱われるようになるでしょう。

 

これが差別ですが、差別しないで済むように、ちゃんとした行いをしてくれ、ということが、差別をする人の言い分なんでしょう。ただ、これは意識して差別している人の場合で、無意識的な人の場合は、一回ついたネガティブなイメージは、どうやっても後から取り返すことはできないかもしれません。思い込みがついてしまったので、いくら心を入れ替えても、もう認めてもらうことはできないかもしれません。

 

少し話が逸れましたが、今回問題にしたいのは、道路交通法が改正されて、新しい分野で警察の取り締まりが行われるようになったら、以前は何のお咎めもなかったことが、咎められることになるので、お知らせが必要になります。自転車の飲酒運転が犯罪であるというイメージを伝えるための記事は、そのお知らせの役割を果たすのであり、警察かマスコミのどちらか、あるいはその両方で、このことが意識されていて、狙った効果を出すために工夫されて出されていると考えられます。

 

住民が頼んでもいなことを勝手に決めて勝手にやるな、という気持ちから、自転車の運転に罰則を設けることに反対する人もいるようです。

 

僕は、取り締まりをした方がいいような、危険な運転をする人もいるのかなと思いましたが、警察の交通課で暇してる人が多いから仕事を作る必要があった、みたいな理由が背景にある可能性もゼロじゃないかもしれないですね。その場合は、人が余っているなら、足りない部署に配置転換したらどう?と言った方がいいのかもしれません。

 

いずれにしても、これも、民は知らしめるのではなくて、依存させるべきだ、という例の考え方が働いているからで、説明せずに、操作しようとする意図なんでしょうね。その方が結果としてうまくいく。下手に説明すると紛糾してろくなことにならない、ということがもしかしたら言えるのかもしれませんが、いつまでもそこに留まっていたら進歩がないので、時々は本来のあり方を試してみる必要はあるでしょうね。

 

やっている方も案外、引き継がれた通りに仕事を進めているだけで、それ以外に方法があるのか考えたこともない、というだけのことかもしれませんし。