たがや亮さんの配信を見つけたので、見てみたんですが、これはちょっとひどかったw
最初は良かったんですが、途中で、我慢してまで見る必要ないなと思ってやめました。
視聴者が文句を言ってくるみたいですが、それをピックアップして、「晒し上げ」行為をやってました。リラックスして楽しそうにやってるからね。深刻だと思いました。
品性下劣な人は、お互いを罵倒する世界と接しても、すんなりと馴染むことができるのでしょう。たがやさんは水を得た魚のように生き生きとやっているように見えましたので、元々、そんな世界に親和性があった人、ということなんでしょうかね。
元々、上品だった人が、品性下劣なコメントの列を見て、言い負けるのも悔しいから言い返すことはあると思いますし、言い返せるほど気が強いことは、悪くはないと思いますが、やはり喧嘩しているうちに、ある程度、染まってしまうんじゃないでしょうか。
上品な人なのに、自分や他人の上品なものを守るために、敢えて品性下劣な領域に入っていって戦っている、ということであれば、むしろ尊敬できるのですが、やっているうちに染まってしまって、品性下劣な部分が大きくなっていくと、その人自体を受け入れることが難しくなってきますし、最大限に評価するとしても、自らを犠牲にして他の人たちを守ろうとして自らが闇に取り込まれた人、という評価になりそうです。
たがやさんの場合は、自分や他人の上品なものを守るために戦っているというよりかは、自分自身が元々、品性下劣な部分を持っていた、という印象ですね。
やりたくないけど、しょうがないのでやっているという雰囲気じゃなくて、やすやすとできている感じなのでね。
じゃあ、議員時代の、有権者や支持者を持ち上げて、皆さんの奉仕者であるとのへりくだった姿勢が何だったのかというと、処世術だったのかなと、思ったりします。そういうものに、やすやすと騙されている私、というものも、反省の必要があるかもしれません。
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たがやさんの話の中で、真面目に受け取るべき内容もあった気がします。
まずイスラエル訪問に関しては、たがやさんの言い分はあり、それはそれで筋が通っているから、やはり高井さんや伊勢崎さんの側の話だけでなく、たがやさんの側の話も聞くべきなんだろうなと思いました。骨子は、ちゃんと党と相談してから行っている、ということですね。アリバイ作りで、相手が理解できないほど短い言葉で伝えて、それで行ってしまった、ということではなくて、イスラエルに行くことをちゃんと伝えて、党の了解が要らないことを確認した上で行った、という話でした。
多分、問題があるとすれば、左派の人たちが、ネタニヤフ政権を交渉相手として認めていなくて、非難し、制裁して、政権が倒れるのを待つという姿勢でいることを、たがやさんが全く知らなかったことでしょうかね。
たがやさんは、保守を自認していて、自称もしていたらしいですが、その立場からは、イスラエル訪問の機会があるなら、国会議員として、情報を取ったり、意見交換をし、パレスチナ問題に対して日本国として関係を持つためのきっかけにすべきだ、という発想があったようです。
(多分、保守派の立場の本質は、身近な人たちや同じ民族といった、自分が属する共同体が重要で、他の人間グループはさほど重要と思われないため、外国の人権侵害にアプローチする場合に、さほど真剣にはできない、ということだと思います。まあ穏便に行きましょうや、と軽い言葉を発して、我が身を切られるように感じている人たちの猛反発を受ける、ということがありそうです)
たがやさんは、伊勢崎さんのことは信用していたようですが、伊勢崎さんの立場は、実際は、左派の立場に近かったようですね。たがやさんは、伊勢崎さんが専門家なので、相談しようと思ったらしいですが、多分、議員は多忙で、秘書としか話せず、そこでは実のあるアドバイスが得られなかったんでしょうね。
たがやさんとしては、一生懸命仕事をしてきたのに、仲間としてかばってもらえずに、同じ党の人が、左派の一般人と一緒になって、自分のことを責めてきたことに不服な気持ちがあるようです。
たがやさんとしては、山本太郎さんの、右も左もない、という発言を真に受けていて、その言葉を良いと思っていたので、その時に、左派が保守派を排除するような動きが出てきたことを、非常に残念に思ったみたいです。
逆に言えば、それまでは、保守だからといって、党の中で排除されたりはしなかったようです。
残念ながら、左派と保守派の違いが表面化した時に、互いの違いを知って、相互理解を深める方向には行かないで、一般社会と同じように、修復不可能な亀裂を生じさせて終わったということみたいです。
そもそも、山本太郎さんは、左右の不毛な対立を回避したい(そんなことに巻き込まれたくない)という程度で、右でも左でもないと言っているだけで、実際は、個人や人権を大事にし、血縁共同体のようなものはたいして重要視してないと思うので、実質的には左派だと思います。
選挙で票を獲得するためには、多数を占める保守的な考えの人を取り込む必要もあります。そういう意味でも、保守派の人にも門戸を開きたい、という発想はあったでしょう。しかし、保守派と左派とで、根本的な考え方の違いがあることに対して、あまり意識的ではなく、そのことで内部で左右対立が生じた時に、あまりうまい対応ができなかったのかもしれません。
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たがやさんは、現執行部に批判的ですが、理由は2つあるように思いました。
ひとつは、たがやさん自身の問題への対応への疑問以外に、所属議員やボランティアの人から、投書が寄せられ、各種ハラスメント被害を受けた、という訴えがあったということです。党内で人権侵害が多々起きていて、その対応が不十分である。そして、たがやさんの考えでは、現執行部のやり方が、そんな事態を招いているのだ、総取り替えしか根本的な解決は不可能、ということみたいですね。
ハラスメント被害が多数起きていて、今に至っても、十分な対応がなされていない、むしろ隠蔽されたりもみ消されたりしている、ということが本当であれば、どうにかしないといけない問題ですね。ただそのことと、現執行部のやり方とが、関連しているのかどうかについては、根拠が提出されてはいませんね。今のところ、きっとそうだろう、という思い込みしか感じられない。
そしてもうひとつの理由は、左派の乗っ取りで、当初の理念が忘れられている、という見方です。左派の乗っ取り、というのは、物事が悪くなった、あるいは自分が居心地が悪くなったという時に、保守派の人が思いがちなことなのかもしれません。
で、当初の理念の何が忘れられたのかというと、左でも右でもない、ということ以外では、誰一人取り残さない、ということみたいです。
そして、左派に乗っ取られてどうなったかというと、政権批判を繰り返すようになった、ということでしょうかね。
左派の人でも、れいわ新選組で最も評価できるのは、難病患者を国会議員にしたことで、そういう福祉路線から離れて、経済政策を訴え始めたことはあまり良くないと思う人がいるようです。
僕は、そうではなくて、生活困窮者を救うと言うだけじゃなくて、実際に救うにはどうしたらいいか考えて、経済政策を訴えることにしたんだと思いますので、今のやり方をほとんど全部支持できます。もっといいやり方が、もしかしたらあるかもしれませんが、具体的にそれを思いつくわけではないので、今のれいわのやり方を支持するしかない、と言ってもいいかもしれません。
保守派の考え方の基本は、小さな血縁共同体(家族)を重んじるということなので、縁の薄い人のことは、そこまで心配しません。一方で、個人主義に基づく愛の精神を持っている人は、まだ出会っていない人のことでも、統計から生活困窮者が増えていると聞くだけで、心配で仕方なくなるのだと思います。
一刻も早く、国の政治を根本的に変えなければ、死者が多く出てしまう、という危機感が、ある種の人の中では、深刻になっているわけですが、他の人の中では、さほどではありません。
それで、どんな人でも包摂される社会っていいね、という理想論の賞賛が出てきてしまいます。物事を深刻に(現実的に)捉えている人は、早くやらないと死者が無数に出てきてしまうと、焦っています。
理想に向かってゆっくり着実にやっていけばいいじゃないか、何を焦っているんだ、というふうに、保守派の人には見えるかもしれません。多分、縁の薄い人に対して親身になっていないので、のんびりしていられるのだろうと思います。
左派でも、嫌なヤツに親身になったりできないね、と感じている人だと、死者が無数に出てくることへの焦りはあまりないかもしれません。