GWのパリ&バルセロナ旅、備忘ブログようやく完了、なるも12月突入。。。
で、6月に県美で藤田嗣治の展示があるってんで、行ってみることにした。
5月に行った秋田県立美術館で観たフジタ作品が素敵だったので、もっと観てみたくなって☆
会場は、兵庫県立美術館。通称、「県美」。
県美に来るのは4月のパウル・クレー展以来デス。
今回もいつものアート・トリオでの訪問。
2人に声かけてみたら、観たいって言ってくれたので。
今回は、藤田嗣治個人の展示ではなく、国吉康雄との2人展。
同じ時代に活躍した2人の作品を同時に観ることが出来ました。
20世紀前半の激動の時代に、海外で成功と挫折を経験した二人の画家、藤田嗣治(1886-1968)と国吉康雄(1889-1953)の展覧会を開催します。
藤田嗣治は、東京美術学校卒業後26歳で単身フランスに渡り、1920年代「素晴らしき乳白色の下地」と称賛された独自の画風によって、エコール・ド・パリの寵児としてフランスでの名声を確立します。
国吉康雄は16歳で渡米、画才を認められて研鑽を積み、アメリカ具象絵画を代表する画家としての地位を築きました。
パリとニューヨークで活躍した二人の画家は、1925年と28年のパリ、1930年のニューヨークで接点を持ちますが、太平洋戦争によりその関係性が破綻します。
1949年の10カ月を藤田はニューヨークで過ごしますが、現地にいた国吉との再会は叶いませんでした。
日本とフランス、日本とアメリカ、二つの祖国を持った二人が、それぞれどのような自覚と視座のもと作品を生み出していったのか。
これまで個別に語られてきた二人の画家について、9つの章を通して作品を対比させながらご紹介します。
(公式サイトより)
さぁ、2人の世界に没入しますよ~~~!
国吉康雄
1889年岡山市生まれ。
1906年に労働移民として単身渡米。
学校の教師に勧められ美術の道に進む。
1916年からニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで学んだことが転機となり、初期作は東洋的画題と西洋的技法の融合した独自の表現として評価を受けた。
友人で画家のパスキンの勧めで1925年と28年に2度渡仏。
「ユニバーサル・ウーマン」と呼ばれる女性像を描き人気を博す。
1931年に帰国し、個展を開催。
同年に二科会員となり、翌1932年に二科会へ出品。
1941年の太平洋戦争勃発後、日米間の対立に苦悩する心中が投影された作品を描いた。
1948年にホイットニー美術館で現存作家初の個展を開催。
1952年にヴェネツィア・ビエンナーレアメリカ代表に選出。
アメリカ市民権を申請中の1953年に死去。
恥ずかしながら、今回初めて知った画家。
作品も、どこかで目にしていたかもしれんかも、やけども記憶に残ってない。残念。
さて、印象に残った国吉の作品たち。
『カーテンを引く子供』岡山県立美術館
このもちっとした子供、足の小ささ。。。
ルソーを彷彿とさせるな・・・・。
この写真を見て~~~。
この作品を見る!
『製作中』福武コレクション
構図は写真から、ですね。
彼の作品は、私にはあまり刺さって来なかったかなぁ~~~。
でも、第二次世界大戦における彼の芸術家としての姿勢は好きだな。
政府の意のままに戦争擁護の作品を描いたフジタとは違って。
最後の部屋だけ撮影OKだった~。
片側の壁にフジタ作品。
『姉妹』『室内』『二人の祈り』
反対側に国吉作品。
こちらの方がカラフルで、可愛い。
『ミスターエース』福武コレクション
ただ、相変わらず、もちっとしてる。ww
ショップは部屋を設けず、展示室を出たすぐの通路にあるだけ。
で、今回の美術展のお路地なるグッズもあまりなかった。
このトートとかかわいいけど、もうちょっと小さいものが欲しかったな~。
ステッカーとか。
あ、メガネケースとか!ww
ポストカードも、一番好きな作品のものはなかったし。
いつも思うけど、美術展のグッズ作成にかかわらせて欲しい。
ポストカードにする作品選びだけでも良いから。
「え~、あれないやん!」
「なんで、これなん?」
って思うこと多数。
というか、毎回。
まぁ、文句言いながらも、何かしら買うんやけどね。ww
フジタ作品、これからも日本各地で目にする機会もあると思うけど、これだけの作品を一気に観れたのは良かった☆
























