2025年4月24日(木)~5月4日(日)
パリ&バルセロナ旅
4月30日(水曜日)@7日目
ダヴィンチ先生の後は、ラファエロ先生!
ラファエロ・サンティ(1483年4月6日 - 1520年4月6日)は、盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家、建築家。
一般的には単にラファエロと呼ばれる。
ラファエロの作品はその明確さと分かりやすい構成とともに、雄大な人間性を謳う新プラトン主義を美術作品に昇華したとして高く評価されており、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに、盛期ルネサンスの三大巨匠といわれている。
ラファエロは異例なほどに大規模な工房を経営しており、短い生涯に多数の作品を制作した。
多くの作品がヴァチカン市国のヴァチカン宮殿に残されており、とくに「ラファエロの間」と総称される4部屋のフレスコ画は、ラファエロの最盛期作品における最大のコレクションとなっており、もっとも有名な作品の一つの『アテナイの学堂』も「ラファエロの間」のうち「署名の間」と呼ばれる部屋のフレスコ壁画である。
ラファエロは存命時から高い評価を受けた影響力の高い芸術家だったが、ローマ以外の地ではラファエロの絵画やドローイングをもとにした版画でよく知られていた。
ラファエロの死後、年長だが長命を保ったミケランジェロの作品が18世紀から19世紀にいたるまで西洋絵画界により大きな影響を与え続けたが、ラファエロの穏やかで調和に満ちた作品も非常に優れた模範的作風であると評価されていた。
(Wikipediaより)
ラファエロの作品は、ダヴィンチのちょうど向かい側にずらりと並んでます。
ラファエロはダヴィンチに会って絵画技法を学ぶためにフィレンツェに赴き、勉強熱心で、性格も非常に穏やかだった
ラファエロを気に入り、様々な技法を伝授したという。
その2人の作品が500年以上の時を経て、同じ場所に並んでて、観ることが出来るなんて、にやにやが止まらない!
『聖母子と幼き洗礼者ヨハネ』(通称、「美しき女庭師」)
1507年 - 1508年に描かれた作品。
田園風景の中に聖母マリアが腰掛け、その足元には向かって左側に幼子イエス、右側に洗礼者ヨハネ。
幼子イエスと視線を合わせる聖母マリアは、慈愛に満ちた優しい眼差しをしています。
3人は安定感のあるピラミッド型の構図の中に描かれ、色彩・描写、すべてが調和している。
聖母マリアのマントの肘の金糸飾りのところに「Raphaello Urb」という文字が見えるが、これは「ウルビーノのラファエロ」を意味する画家の署名。
マントの左ひじに近いところには 「M.D.V.II」という文字が見え、これは作品の製作年を示しているが、「II」ではなく「III」の年記が顕微鏡で確認されたことが1984年の『フランスのラファエロ展』カタログの中で報告され、それが正しいとすれば1508年の制作ということになる。
ラファエロは、1508年に生涯を終える場所となるローマへ赴くが、本作は画家がフィレンツェで描いた一連の聖母子画の最後のもの。
当初、『農民の聖母』という題名でフランス王室コレクションの記録に記されていたが、1720年頃に、芸術愛好家であるピエール・ジャン・マリエットの『手引書』において『女庭師』という題名がつけられ、その後、『美しき女庭師』と記されるようになった。
現在、ルーヴル美術館では、『聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ』という題名で展示されている。
ルーヴルに展示されてるラファエロの作品の中で一番観たかった作品。
『聖ゲオルギウスとドラゴン』
1504年から1505年頃に制作された。油彩作品。
主題は13世紀の『黄金伝説』で語られているキリスト教の聖人、聖ゲオルギウスの竜殺しの伝説から取られている。
初期のラファエロを代表する作品で、制作経緯や注文主については不明だが、ウルビーノの宮廷と関係が深い作品と考えられている。
また同時期に制作された『聖ミカエルとドラゴン』の対作品とされている。
またカルトン(原寸大下絵)がウフィツィ美術館に、異なるバージョンがワシントンのナショナルギャラリーに所蔵されている。
『大天使ミカエルとドラゴン』
1503年から1505年ごろに制作された油彩作品。
『悪魔を打ちのめす聖ミカエル』や『聖ミカエル』などの名前でも呼ばれる。
主題は『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」12章で語られている大天使ミカエルとサタンの闘争から取られている。
初期のラファエロを代表する作品で、『聖ゲオルギウスとドラゴン』の対作品とされている。
ルーヴル美術館に所蔵されているもう1点のラファエロの同じ主題の作品と比べてサイズが小さいために『小さな聖ミカエル』とも呼ばれている。
『友人のいる自画像』
1518年から1520年頃に制作された油彩作品。
背後に立っている男性はラファエロ自身と考えられている。
この点はウフィツィ美術館の青年時代の『自画像』や、死後に制作されたヴィラ・ランテのメダイヨン肖像、ジュリオ・ボナソーネおよびマルカントニオ・ライモンディの版画、その他の後世の素描や版画などとの比較から確かであるとされている。
これに対し、前景に描かれている男性についてはよく分かっていない。
おそらくラファエロの友人であり、男性が剣の柄を握っていることから、伝統的にフェンシングの師匠と考えられていた。
現代の美術史家はラファエロの広範な人間関係から様々な説を提出されているが未だに特定されていない。
『バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像』
1514-1515年頃に描かれた油彩画。
肖像画のピラミッド型の構図と雰囲気は、ラファエロがローマで見たであろうレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』 へのオマージュを示している。
モデルの人物は、ラファエロの友人で盛期ルネサンスの紳士の典型と考えられている、外交官かつ人文主義者のバルダッサーレ・カスティリオーネ。
絵画はカスティリオーネによってマントヴァに運ばれ、1609年までそこにあったが、その後、幾人かの所有者を経て、1661年にマザラン枢機卿の相続人からルイ14世によって取得された。
この肖像画は、ラファエロとカスティリオーネとの友情の証として制作された。
カスティリオーネはイタリア各地の宮廷で訓練を積んだが、彼の宮廷での地位の上昇は芸術家ラファエロの地位の上昇と平行していた。
『ドーニャ・イサベル・デ・レケセンス・イ・エンリケス・デ・カルドナ=アングレソーラの肖像』
1518年ごろに制作された絵画で、かつてはジョヴァンナ・ダラゴーナを描いたものだと考えられていた。
ラファエロ・サンティと弟子のジュリオ・ロマーノ、またはラファエロ派など様々に帰属がなされてきたが、現在では一般的にラファエロの素描にもとづいてジュリオ・ロマーノが制作したものと解釈されている。
美しい女性の肖像画を収集していたフランス王フランソワ1世のために、教皇レオ10世に代わってビッビエーナ枢機卿からラファエロに『ナポリ副王の妻』の肖像画が依頼された。
ブラントームは、人物をジョヴァンナ・ダラゴーナだと解釈したが、1997年の研究により、むしろ彼女は1509年から1522年までナポリ副王であったラモン・デ・カルドーナの妻であったイサベル・デ・レケセンスであることが示された。
タイトルを覚えられる気がしない。ww
『聖家族』(通称「フランソワ1世の聖家族」)
1518年に制作された絵画で、聖家族と聖エリサべト、幼児洗礼者ヨハネ、2人の天使を描いている。
ラファエロ・サンティの署名と年記があるが、作品の大部分、あるいはすべてが彼の工房の助手によって仕上げられた。
本作は、ローマ教皇レオ10世の甥で、フランス宮廷大使であったロレンツォ2世・デ・メディチからフランス王フランソワ1世 (フランス王) の王妃クロードへの贈り物として、王のための『悪魔を倒す聖ミカエル』 とともに制作された。
作品には、ラファエロによる幼子イエス・キリストの下絵 (ウフィツィ美術館) が残っているが、実際の制作は大部分が弟子のジュリオ・ロマーノの手になるものと考えられる。
作品には署名と1518年の年記が入っているが、何度も修復を受け、18世紀に板からカンヴァスに移転されているので、ラファエロの絵筆の跡を見分けるのが困難になっている。
本作は、槍を手に持って、右足で悪魔 (サタン) の背中の上に立っている大天使ミカエルを主題としている。
ラファエロが以前に『聖ミカエルとドラゴン』と呼ばれる、青年期の小品で扱った主題の大規模で成熟したバージョンである。
本作は、神が悪に打ち勝つことを象徴しているため、キリスト教の中で象徴的な意味を持っている。
ラファエロは、微妙な方法で神性を呼び起こす画像を制作する才能を持っており、構図内に空間を作成することと、静止状態で捉えられた動きに熟練していることで知られていた。
芸術家としてのラファエロは、教皇や枢機卿に対してさえ自身の立場を保持することで知られていた。











