先日、久しぶりに履歴書を書いていたら、ふと「自分はなにをしているだろうか」てな感じになってたら、ペタ友(自分では勝手にそう思っているのですが)のブログに、所属バンドの遍歴が書いてあってね。自分のことも気になってみたので、アルバムやら、当時録音したテープ(時代だね~)とか譜面とか引っ張り出してみて、記録しておこうかなって思ったのです。まあ、どうでもいいはなしですが、記録にかいてみようかなと(たなけんさん勝手にすみません)思います。


 音楽のきっかけは、少々の頃より、両親の影響で、色々と聞いていたのです。まあ、とはいってもビートルズとか、ベンチャーズ、カーペンターズとか、フォークに演歌、歌謡曲までなんでもありでしたが、そのおかげで、逆に食わず嫌いになったのではないかとちょっと感謝しております。で、中学生の頃にイカ天やら、原宿のホコ天にかよったりとバンドを目の前で見る機会が増えるわけで、ちょうどその頃学校でグループアンサンブルの授業があったりして、笛と打楽器とギターという構成。今考えるとよく分からなかったのですが、でもってたまたまギターになったというわけで、学校の機材を家に持ち出して練習が出来んということで、お小遣いをためて、授業でつかうんだということで親に援助してもらって、ギターを買ったわけです。それで、始めるきっかけになるんですが、まあ、そもそも起用じゃないので、練習はすれどもうまくならずにいたわけです。そんでもって高校生の頃に、ユニコーン好きであったので、歌詞を覚えていると言う理由だけで、違う部活にもかかわらずバンドに入れられて、文化祭に出るわけです。これはたしか「ユニコ」とかいうばんどだったっけかな?ユニコーンのコピーバンドで、ユニコーンまでいたらないので「ユニコ」としたような記憶が・・・。そんでもってまあありがちな文化祭のみの活動期間でしたね。


 進学した頃に、活動が活発になるもんで、色々と組んでは解散するわけですが、いっちょまえに方向性とか、恋愛関係とか、解散理由はさまざまだったなあ。

「紅トラ」

パンクなバンドをやりたいと言う先輩の誘いに乗って入ったバンド。やったこと無いドラムをやるのですが、バンド名は、その先輩とスタジオに行く途中にすれ違った「紅虎餃子房」って感じの並びがかっこいいと言う話でなった。まあ、バンド名ってそんなもんよね(笑)先輩の卒業同時に解散みたいな感じ。言いだしっぺがいなくなったから仕方が無いか。

「スペランカー」

意味はまったく分からなかったけど、組んだみんなが、やったことのあるファミコンソフトの名前。ただ、雑談中に、話に出たので、内容はロックだった気がする。まあ、なんだろうかオリジナルを中心にやっていたのですが、その時には年齢が一番下と言うことで、併せる感じだった。ボーイとかの影響を受けた飯のバンドだった。もちろんメイクはしていないですが(笑)ここで、ギターとコーラスをやらされた感まんさいでやっていたのですが、勉強にはなったかな~。年上の方々だったので、私生活というより、仕事の関係上でフェードアウト解散。

「ストロベリーフィールド」

ベースが女子で、ギターと色々とあって解散しちゃった苦い思い出。ここではボーカルをやっていたのですが、別にビートルズは関係が無くて、レッドホットストベリーズという友人のバンドがあったので、そしてその頃読んでいた漫画の主人公がイチゴというなまえだったので響きで、つけた。イエモンのコピーを主体にオリジナル展開をしようと思った矢先に、ごちゃごちゃして解散。

「ブラックスカルオーケストラ」

骸骨の全身タイツで、ヘビメタをするバンド。ドラムをやったのですが、たいつを頭からすっぽりとかぶっていたので、苦しくなって息切れが半端じゃない。しかも、よく分からないけど、骸骨だからしゃべらないという設定もあったので、MCがなく=休む暇が無いということで、きつかった経験がある。その良くwかあらない設定がいやになって、ライブ中に素顔になったボーカルが「マスクマンはマスクを脱いだらそれが引退だ」と話してしまい、仕方が無く解散。まあ、辛かったからいいのですけどね。全身タイツ恥ずかしかったし。しかも、照明次第では意外と透けるので、恥ずかしさ倍増。しかも、ライブ中の自分お姿は見えないので、後で、動画を確認して汗のせいで、スケスケになっているのを見てさらにはずしさが倍に(笑)自分ながらにアホやなと思いましたね。

そんなこんなで卒業する訳ですけど、それからはヘルプとかしているうちに、だんだんとベースが楽しくて仕方がなくなってくるのです。名前は無いですが、3ピースでブランキーをやったりして、楽しい~とおもたとぁけです。


「五月雨は吹雪のように」

というような名前だったような。ないような・・・。初めてにして最後のビジュアルバンド。着物というか、女性物の浴衣を木きくずして、演奏するのですが、まあ、演奏がしづらかったので、よく覚えている。そして、化粧を強要されて、それを拒否し続けて、あげく始めての脱退。解散じゃなくて脱退したのがこれぐらいかな。鍵盤が入ってかっこよかったのですが、どうも格好になじめずにいたのです。そして、そのころはルナさんが絶好調で、他にも色々とでていたなかだったので仕方が無かったのかもしれないな。


「ヘミングウェイ」

初めて、自分が主となり作ったバンドではあるが、最初にして最後だったのですね。というのも、3ピースでこれでもかってぐらい音を詰め込んだごりごりのロックがしたいという。前のバンドの反動もあって組んだのですが、他二人がまったく楽器をいじったことの無い人だったので、はじめからの雰囲気が良かったなあ。というのも、後輩二人が失恋をきっかけに、何か夢中になれるものはないかな?と言うこともアリ、自分がやりたかったのアリで、はじめたのです。まあ、最初はコピーで練習して、それからオリジナルに移行していったのですが、日本語で歌詞を書いて、外語科の友人に英訳してもらい、それをまたメロディに乗っけて、文字を削ったりなんだりして、作った記憶が・・・おお大変だったなあ。そんでもって吹き込んだテープを音大の友人に譜面に起こしてもらったりして、あっちいったりこっちいったりといろいろな人の手助けでやっと出来たバンドですね。その割には名前安易であって、ネット検索でバンド名でひっかかからないと言う理由(その当時は)で決めてしまった。3ピースなんで、ボーカルはそれぞれ手が面倒でないところを埋めていく形をとってみた。なので、三人が一曲の最中に入れ替わる感じです。まあ、手間かかっている分、関係者も含めて大人数がかかっているので、かかわる人みんなで作っている感じが楽しかったなあ。そして、よしっライブだ!と言うことで、一回やったのですが、結果それが解散ライブになった。というのも、ドラムの子が不幸にあってしまい。その後続けていく気が起きなかった。周りのひともそんな感じで、何か糸が切れてしまった感じでしたね。その子の命日はみんなで、集まってその頃の曲を弾いたりしているのですが、関係者がそれぞれの生活があり、家庭があって年々参加者が減っているのですが、一年に一度やっていたりします。


 そのことがあってなんだか楽器を持つ気持ちがあまりにも重たく感じてしまって、それからはバンドもヘルプ程度で、年々減ってしまい。フェードアウト的に辞めてしまったのが現実ですね。でもね、本当はジャズトリオとか、ビッグバンドもやってみたかったなあ~としみじみ。


 しかしながら、他にも色々とあったが記述に値しないのばかりだ~笑。しかも歌詞が恥ずかしいのね。改めてみるとね。まあ、青春していたわけですよ。恥ずかしながら遍歴でしたって話。おつあいいただきありがとやんした。