毎年のことながら…
3/11は私達の地では忘れられない日であると共に、忘れてはいけない日と言う感じになっている。
その話題を出さなきゃいけないムード満々さがSNSでも溢れてて…
その事について書かなきゃと急かされる気になってしまう。
というか、忘れて他の話題を取り上げてるのが悪いような気がしまう。
その日は嫌でも思い出すことになるのだけど…
私は思い出したく無い…
話題にしたく無いって感じ。
だから、普通の日であってほしい感じで過ごすのです。
毎年その話題を思い出しては涙が出てしまうし…
私は生きてるし、身内は誰も震災で亡くさずに済んだ。
かと言って、誰がマシだとかそうじゃ無いとか無いんだよ。
でも、自分より大変な人を前にして「忘れるな」とは言えないし、心に残る傷の扉を何度もこじ開けてしまう気がしてしまう。
身近に家を流された人や、家族を亡くした人、大変だった人がいたから…
その方々の前でさ、言葉をかけたくなるなんて無いのよね。
静かに黙祷を捧げる以外無いんだけど…
死者は本当に望んでるのか?
この前、震災の過ちを忘れないでと書いてる方も居て、震災の過ちって何のことかも理解できず…
何だろう?
明確には分からないから、何を言ってるのかな?
原発の事?
大川小学校の事?
学校の先生だから後者かな?
でも、もしかしたら他にも色々思うことがあったのかな?
やはり、人それぞれに感じる事が違うんだなって思いました。
私はあの日の恐怖忘れるわけでは無いよ。
助け合って生きた時間と言える日々だった。
忘れちゃいけないのだとしたら、残された人達が古き良き時代の教えに戻り、助け合う精神を消してはいけない事では?
生き残った人達は大きな傷を負って生きていかなきゃいけないからね。
トラウマになってる人は忘れたいのでは?
会社の人が奥さんを亡くされてたようで、「奥様元気ですか?」と言われて、「なんで言うんだよ!やっと忘れかけて来たのに…」と泣くに泣けない顔で言ってたのを思い出すのです。
大切な人を失った残された方にとって、忘れる時間はまだまだ必要です。
などなど…
個人的な思いがありました。
結局書いてしまうのですが💦
普通の日で終わる毎日っていいよね。