今回は長いです。私のメンタルコーチに対する、心の言葉を綴ってみようと思います。

 

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私は、実のところ、娘(11歳)の少年野球のコーチにしか携わったことがありません。ガキの頃は野球ばっかりやってましたが、それ以降はほとんどスポーツもしないし、小学高学年から中学は吹奏楽、高校では帰宅部でした。大学は日本に居なかったので、毎日ひたすら勉強とラグビーやってる友人に付き合って練習を観てました。

 

(私と同年代の写真だと思います。こんな感じでした。

団地に住んでたし。とにかく楽しかったです。)

 

娘が同級生の誘いに乗って、2016年3月に少年野球に入部し、私もいつの間にか、球拾いから始め、コーチまでやらせていただけるようになっていたのが流れです。少年野球とか、その市町村ぐるみの組織体とか、今まで全く関わっていなかったので、すごく新鮮な世界を体験しています。

 

野球は、なんだかんだ言いながら、下手ではないので、今までいた指導者に交じって、選手からは「コーチ」と呼ばれるようになり、皆の練習に付き合い、アドバイスをしてきました。

 

怒鳴る指導者を真似して娘にも同じように怒鳴ったり、叱ったりしていました。

 

前回「指導者失格」というブログで、娘が私のそのような態度に辟易して「もう来ないで」と言ったこと書きましたが、私自身、この怒鳴っている環境を「なんか変だな」と感じていました。

 

怒鳴ったところで上手になる訳もないし、選手たちが委縮したり、泣いたりしているのを見て、「これでいいのか?」「これじゃ野球が嫌いになるし、練習にも来なくなるよ」と思っていました。

 

(懐かしい・・・。)

 

私は野球のキャリアが少ないので、技術的な部分の指導はあまり出来ません。見よう見まねで身体で覚えてきたタイプです。出来なかったら、一人で練習していました。論理的に「こうすればこうなる」ということを説くことが出来ません。

 

ですので、技術的な部分は他の指導者に任せて、私は子供たち(選手)の心の部分、メンタルな部分でのアドバイスをしていこうと決めました。

 

娘が市の女子選抜チームに選ばれた、2016年9月くらいからメンタルコーチの勉強を始めました。

 

自分がやってきたことが、ほぼすべて間違いであるという気付きは、自分自身でも大変にショックでした。

 

ただ、まだ少年野球の世界では指導者が絶対的な強さを持っている、昔ながらの日本の教育の流れが残っています。怒鳴る、叱る、罵声を放つ、ひどいコーチではうまく出来ない選手を蹴ったりして体罰を与える指導者もいます。

 

私が野球をやってきた頃はそれでも良かったと思います。というのは、学校でも同じように先生に怒鳴られたり、殴られたりしていたからです。親は先生に謝りに来ていました。

 

時代も変わり、学校で先生が体罰をするとニュースになるような世の中になりました。その流れは少しずつ少年野球にも拡がりつつあります。チームによっては指導者がすごくソフトなチームもあります。

 

厳しくすることが必ずしも上達に繋がる訳ではないという事実があるのでしょう。私のメンタルコーチングの勉強は正にその時代の流れの一部だと思います。

 

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私はいつも、選手たちには私が野球で楽しかったことばかりを話すようにしています。

 

パンツ一丁でみんなと試合をしたこと、人数が足りないからと5対5で試合して外野を一人で守ったこと、山ミミズという蛇レベルの巨大なミミズ(検索しないでください。嫌いな人は卒倒すると思います)の出る山の中を、暗くなるまで泣きながらボールを探したこと、そんな話をすると、選手たちは目をキラキラと輝かせます。

 

ゲームやテレビと同じで、今の子供たちは「創造する」ことを辞めてしまいました。「楽しみは作るものであること」を知らないかも知れません。

 

私たちがガキの頃に必死になってやったメンコは、実は「ゼロ・ポジション」の練習だったことは、後から気付いたことです。あの頃は誰でもボール投げが出来ました。当たり前です。メンコの投げ方は、ボールの投げ方と全く同じ動作ですから。

(野球のトレーニングで取り入れているチームもあります。)

 

与えられたチームユニフォームを着、言われた通りの荷物を買い、それを持って指導者から言われるがままに練習をし、一日を終える、それは私が同じ年齢の時にやっていた野球とは全く違います。

 

「考えて創り出す」「創造する」野球を全くしていません。

 

今の子たちには「考える野球をさせる」ことが大変重要です。

 

考え抜いて行っている動作ではないですから、メンタルで弱くなるのも当然かと思います。「ここぞ!」という時に、考えが及ばないので、試合中もチラチラと監督の方ばかりを見ます。練習でセカンドに投げたから、と、三塁にランナーが走ろうとしているのにセカンドに球を投げます。

 

「ランナーに蓋をするために次の塁に投げる」んです。それを考えて理解できていないんです。

 

「与えられた野球」というのはこんなもんでしょう。だから指導者も怒るのでしょう。

 

でも、それを「考えさせる野球」にするのが、指導者、特にメンタルの指導者には求められているんじゃないかなと思っています。

 

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まだまだ道のりは長いし、勉強することも多いです。娘は中学になったら野球はやらないと言っているので、私のコーチ生命もそれほど長いものではないかも知れません。

 

でも、今、ここで、野球をやっていて、上手になりたい、プロになりたい、と思っている子供たちを、少しでも救える、「心のバンドエイド」になれればな、と、本気で思うのでした。