恐らく、私がコーチをしている少年野球のチームの中で、うちの娘(小6)が一番ボンクラだろうと思います。

 

練習はします。でも、チームで決められみんなで集まる練習時間のみ。それ以外、家では一切練習しません

 

野球も観ません。野球は、娘の野球のこと以外、家庭の中では話題にも上がりません。(私も妻も、プロ野球にはあまり興味がないため。)

 

一度、もっと上手になって欲しい、と、休みの日に何度か公園に引っ張っていったことがありました。

 

キャッチボールから始まり、ゴロを捕る練習、フライを取る練習、早く返球する練習、塁間を走る練習、盗塁の練習、トスバッティングしたり、色々なことをやってみました。

 

でも、今考えると、彼女は全く楽しそうではありませんでした。練習が進めば進むほど、どんどんと楽しそうでは無くなっていきました。

 

その時の私は、怒って「そんなんだったら上手にはならん!」と怒鳴っていましたが、今考えると『バカなことをしたな』と思っています。


娘は極端な練習嫌いです。他にやっているバレエも、うちの中で全くと言っていいほど練習しません。

 

その時に彼女に、本人がやりたくないと思っている練習を無理にやらせていたからです。それは楽しいものではないでしょう。

 

酷な話ですが、野球も、バレエも、これ以上は上手にはならないでしょう。本人はこれ以上必要であるとか、悔しいと思っていない様子なので、練習の必要性を感じていません。いつかは感じるのであろうと思うのですが、その時は年齢も進み、もう遅いと思います。

 

でも、最近は「それでもいいんじゃないの?」と思えるようになってきました。というのは、それでも野球の練習に行ったり、バレエのレッスンに通っている娘は、どう見ても、

 

楽しそう

 

だからです。

 

最近、妻が他の選手のママから「バットは高い(高額)ほど飛ぶ」という話を聞き、全く打てない娘に高いバット(と言ってもたかが知れていますが)を買ってあげました。

 

何本も振って、自分で選んだバット。重さも、色も、見た目も、周り(店員のお姉さん)の評価も、最も良い(加えてママの財布にも優しい)バットでした。本人は大喜びです。

 

本当に嬉しかったようで、毎日、毎日、そのバットを、とてもとてもボールを打つとは思えないフォームで振り回して喜んでいます。

 

悲しいかな、とても楽しそうです。

 

人には誰でも、そのことを続けるための目標があります。それが自発的なものなのか、それとも人のためなのか、その目標にはかなりの差があります。

 

同じチームで、野球に大変に(異常なくらいに)厳しいお父さんのいる選手が、最近になって辞めました。極上のグローブ、極上のバット、極上のスパイクを揃えてもらっているにも関わらず、です。

 

恐らく彼の目標は「お父さんを喜ばせるため」だったのであろうと思います。お父さんは長期で単身赴任してしまい、喜ばせる相手がいなくなってしまいました。

 

娘もそうです。「みんなの役に立ちたい」「みんなが9人でプレイできるように」という人のための目標を彼女は掲げています。ですので、中学になったら彼女は野球はやらないときっぱり言っています。

 

恐らく目標として、自分自身のためになるものと意識しているものではない限り、今の自分に不満でもっと練習しないとダメだとは思わないのであろうと思います。

 

私も自分が大学に行きたいと決意したときの衝動が同じであったことを思い出します。やっぱり「自分に必要」と思わない限り、努力しないし、高い目標を掲げないのではないかと思います。

 

好きこそものの上手なれ

 

と言います。

 

下手の横好き

 

とも言います。娘はどっちなんでしょうかね。私に言わせれば、

 

楽しかったら下手でもいい

 

と思うのです。

 

娘は全く練習しないですが、みんなと一緒に野球をすることそのものを楽しいと思っています。

 

それでいいのではないでしょうか?

 

うまくなって欲しいと思うのは、指導者や親のエゴだと思います。

 

嫌いになってしまうことが、続けて欲しいと思っている親には、最も大きな致命傷です。

 

娘には、野球を嫌いになって欲しくありません。楽しいままで卒部して欲しいと思います。

 

下手でもいい、好きであれば、それが何かを続ける最も大きな原動力になるのではないかと、最近になって再認識したところでした。