子供の頃、セサミストリートで観て、最近になってやたらと思い出すビデオクリップがありました。昔は観ようと思っても観る事が出来なかったのですが、YouTubeという素晴らしいサイトのお陰で何十年振りかに観る事が出来ました。
“車輪の発明。” 大変シンプルなもので、古代人が丸い石につまづき、その形状を見て、頭の中で「これを使って社会がどう変わるか」を想像するものです。最後に、
「Who needs it!?」(こんなもん誰が要るんだ?)
と終わります。
私のこのBlogは、マーケティングやCS、ブランディングに関わるもので、環境問題のBlogではありませんので、その観点での言及はしません。
その代わり、
「円」というモノ
について考えてみたいと思います。
人間は「円」というものを知らぬ間に作っていたと思います。それを後から「円」(Circle)という名前を付けたと思うのですが、人間の繋がりを「輪」と呼んだりして、物理的な「円」以外にもその重要性を見出しています。
英語で「繋がり」を「link」と言いますが、何て事は無い、linkは「円」のことです。
モノを転がすと勝手に丸くなります。人が成長し人間として相手を許容できるようになるのを「丸くなる」とも言います。
丸や円は、大変贅沢な形状をしています。

この写真は私の自宅の食器棚の一部です。
食器がほぼ全部丸い形をしているのに気がつくと思います。人間は自然に丸いものを作っているのです。それが自然ですし、作りやすいのです。
ですが、丸を収納するためには、丸の直径に相当する、四角いエリアが必要となります。ですので、この写真でも円がくっついている部分に隙間が出来ている事に気がつかれると思います。
特に日本は国土が小さく、無駄な空間を出来るだけ有効活用しようとします。
土屋アンナさんの宣伝しているパナソニックの「プチドラム」は、その表れで、私は大変な違和感を感じます。
私が生活の基盤の教えとしているアメリカ先住民は、会合を開く時、皆で床に座り、円になります。日本人だけでなく「直線や四角を高尚だと勘違いしている民族」は四角い机を用意し、四角く集まります(私は「四角会議」と呼んでます)。
講師は前に立ち、それを聞くリスナーや生徒は彼/彼女の前に四角く座って並んでいます。学校の授業はほぼこの形で行われます。
何という侮辱であろう
と私は思います。もし同じ高さで話をしたいのであれば、相手が座っているのなら、自分も座り、そして全員が円になって、誰が一番偉いのかを見た目に判らなくする事が相手を尊敬している表れだと思います。
これは実証されている事なのですが、円卓に座る、もしくは円になって床に座る、そして会議や決めごとを行うと、四角会議よりもスムーズに事が運ぶのです。
実は人間が、いかに「円」を生活の基盤としているかのいい例です。四角(角やとがっているもの)は精神的に大変な緊張感を与え、相手を委縮させる力があります。円になることで緊張感が緩み、心が開いて、いつの間にか周りの人と一緒に繋がっているような感覚になるのです。
試しに、四角会議と円を囲んだ会議とで、どちらの質問数が多いか、数えてみてください。
嘘んこ文明人は、モノに物差しを当てて直線にしたり、長さをはかったり、四角く切ったり、それによって物事の効率をはかろう、比較しよう、無駄をなくそう、と考えます。
無駄を省くことは大切です。でも、それが直線的に行われている限り、私は正しいとは思えません。
円のように贅沢、しかも自然な形状を、それとして理解し、必要性を認め、必要な時に導入して、社員やメンバーの親睦を深める、心を開かせる、私はそれが自然な人間としての形だと思います。
お酒だけが相手に本音を言わせる方法ではありません。
4月、歓迎会などが行われる時期です。わざわざアルコールを入れなくても、昼食などで円卓を囲んで、今以上の親睦を深めてみては、いかがですか?
“車輪の発明。” 大変シンプルなもので、古代人が丸い石につまづき、その形状を見て、頭の中で「これを使って社会がどう変わるか」を想像するものです。最後に、
「Who needs it!?」(こんなもん誰が要るんだ?)
と終わります。
私のこのBlogは、マーケティングやCS、ブランディングに関わるもので、環境問題のBlogではありませんので、その観点での言及はしません。
その代わり、
「円」というモノ
について考えてみたいと思います。
人間は「円」というものを知らぬ間に作っていたと思います。それを後から「円」(Circle)という名前を付けたと思うのですが、人間の繋がりを「輪」と呼んだりして、物理的な「円」以外にもその重要性を見出しています。
英語で「繋がり」を「link」と言いますが、何て事は無い、linkは「円」のことです。
モノを転がすと勝手に丸くなります。人が成長し人間として相手を許容できるようになるのを「丸くなる」とも言います。
丸や円は、大変贅沢な形状をしています。

この写真は私の自宅の食器棚の一部です。
食器がほぼ全部丸い形をしているのに気がつくと思います。人間は自然に丸いものを作っているのです。それが自然ですし、作りやすいのです。
ですが、丸を収納するためには、丸の直径に相当する、四角いエリアが必要となります。ですので、この写真でも円がくっついている部分に隙間が出来ている事に気がつかれると思います。
特に日本は国土が小さく、無駄な空間を出来るだけ有効活用しようとします。
土屋アンナさんの宣伝しているパナソニックの「プチドラム」は、その表れで、私は大変な違和感を感じます。
私が生活の基盤の教えとしているアメリカ先住民は、会合を開く時、皆で床に座り、円になります。日本人だけでなく「直線や四角を高尚だと勘違いしている民族」は四角い机を用意し、四角く集まります(私は「四角会議」と呼んでます)。
講師は前に立ち、それを聞くリスナーや生徒は彼/彼女の前に四角く座って並んでいます。学校の授業はほぼこの形で行われます。
何という侮辱であろう
と私は思います。もし同じ高さで話をしたいのであれば、相手が座っているのなら、自分も座り、そして全員が円になって、誰が一番偉いのかを見た目に判らなくする事が相手を尊敬している表れだと思います。
これは実証されている事なのですが、円卓に座る、もしくは円になって床に座る、そして会議や決めごとを行うと、四角会議よりもスムーズに事が運ぶのです。
実は人間が、いかに「円」を生活の基盤としているかのいい例です。四角(角やとがっているもの)は精神的に大変な緊張感を与え、相手を委縮させる力があります。円になることで緊張感が緩み、心が開いて、いつの間にか周りの人と一緒に繋がっているような感覚になるのです。
試しに、四角会議と円を囲んだ会議とで、どちらの質問数が多いか、数えてみてください。
嘘んこ文明人は、モノに物差しを当てて直線にしたり、長さをはかったり、四角く切ったり、それによって物事の効率をはかろう、比較しよう、無駄をなくそう、と考えます。
無駄を省くことは大切です。でも、それが直線的に行われている限り、私は正しいとは思えません。
円のように贅沢、しかも自然な形状を、それとして理解し、必要性を認め、必要な時に導入して、社員やメンバーの親睦を深める、心を開かせる、私はそれが自然な人間としての形だと思います。
お酒だけが相手に本音を言わせる方法ではありません。
4月、歓迎会などが行われる時期です。わざわざアルコールを入れなくても、昼食などで円卓を囲んで、今以上の親睦を深めてみては、いかがですか?
