小学校入学。

小さな町の3つしかない小学校。

い1・2年生の頃の記憶はあまりありません。

5歳上の兄とギリギリ学校が被っていましたが、兄は恥ずかしいからと学校では話しませんでした。


3年生。

学校の金管バンドに入りました。

金管楽器のみのブラスバンド。

入った最初はトランペットでしたが、すぐにトロンボーンに移動しました。

自分から希望したかは定かではないです。


地元は狭いですが、小中高と吹奏楽がそれなりに盛んで特に小学校と高校(一つしかない)が強かったです。

私の小学生時代はこの金管バンドがほぼ占めます。


当時の6年生はちょっとやんちゃ。

なぜかよくわからないが3・4年生が練習後に集められ、6年生から説教を受けました。

6年生のお気に入りの子たちはなぜか「帰っていい」と許可がおり途中からちょこちょこ抜けていきました。

私は何かの質問に手を上げて帰れるところでしたが、なぜか(多分嫌われてた?)撤回され最後まで残らされました。


正座で6年生の話を聞く。

旧校舎で音楽室の床は板の間?木?ですよ。

多分18時とかまで続き解散。

最後には号泣しながらみんなで慰めあって帰りました。

先生は気付いていなかったのか、後に問題になった気がします。


私は権力者に気に入られたいと無意識に思うところがあって。

いや無意識というか…好きになろうと好きだと思い込もうとしてしまうところがあります。

多分今も少し。

当時6年生のドンみたいな女の子の、学芸会の写真をなぜか注文しました。

お金払わせたお母さんには申しわけないし、今となっては本当に意味不明。

嫌われることや孤立することが怖くて無駄に媚びていたのでしょう。


その6年生が卒業してからは平和な活動でした。

5年生と6年生では全国大会に行きました。

6年生で千葉の幕張メッセで全国大会に行き、ディズニーランドに行きましたが、低学年の子たちの子守みたいになってしまって楽しくなかった記憶があります。


金管バンド以外の記憶では、3年生からの担任の先生がとても印象的でした。

すごく変わった先生で、今思えば同僚の先生からは嫌われてたいたのではないかと思います。

児童は私含めて大体が大好きでした。

体が大きくて熊みたい、胸毛がXに生えていました。

説教臭くて私はそこが嫌いで説教が始まると落書きをしていましたが、一度ばれて(多分毎回ばれてた)名指しで注意されて血の気が引いたことは覚えています。

先生が話したことで覚えているのは「アンテナを張れ」ということくらいでした。

いい話たくさんしてくれていたのになぁ。


その先生はそのまま5年生も担任でしたが、5年生の後半かな?夏かな?

体が痒い痒いと大きい定規で腕をバリバリ掻いていたのを覚えています。

膵臓癌だったと思います。肝臓転移かな?黄疸と掻痒感が出ていて、おそらくですけど発見時にはもうステージⅣとかだったんじゃないかな。


手術をして大柄だった体が萎んで皮が余っていました。

その後復帰しましたがまた入院。

6年生の11月に亡くなりました。

当日のことははっきり覚えています。

2時間目の授業、臨時で担任をしていた先生が来て話をしてくれました。

みんなでワーワー泣きながら私はなぜか「13日の金曜日じゃん」と号泣しました。

さすがに周りが「は?」となっていることには気付きました。


また、1時間目の授業は理科で、ちょうどその先生が亡くなった時間ちょうどに誰かが実験の液体をぶちまけるという事件が起きていました。

それについてもみんなでワーワー騒ぎました。

今思うと亡くなってほんとすぐに学校に連絡くれたんだなぁ。

先生のご両親は卒業式の時、クラスの全員に先生の愛称刻印の腕時計をくれました。

もう動きませんが今も持っています。

このご両親には中学に上がってから友達数人で会いに行きました(隣町)。


余談(?)ですが、先生の告別式には行きました。

棺の中の先生の表情が記憶のなかでは「目をかっぴらき恐怖に戦く顔」だったのですが、大人になってから同級生と話すとそんなことなかったようです。

そらエンゼルケアするからな、そんなわけないんですよ。看護師なので今なら分かります。

それだけ私の記憶が悲しいものだったのかもしれません。


ちなみに私は後々看護師になりますが、このときの経験があって憧れた、とかではないです。

ですが身近な人の死を経験したことは関係しているのかもしれません。


そしてこの先生が入院して、臨時で来ていた先生がまた濃かったです。確か教員ではなかったかな?ちょっとよく分かりませんが。

なにかと作文を書かせる。

「自由時間がいい」と男子がいえば「自由とは何か」と書かせる。

当時はすごく嫌でした。今思うとすごく面白いです。

この先生とはしばらく文通をしていましたが、ある時葉書に先生の住所が書いていませんでした。

そこで文通は終わりました。

が、そこから20年くらい経って再開しました。

地元に住んでる同級生が先生の居場所を突き止め、数人で同窓会をしました。

これはまたのちほど。


こんな小学生時代でした。

そして私の性格的にすでに人間関係で悩んでいました。

学年のちょっと強めの女子と一緒にいることで安心していたり(当時は気付いてない)、友達から呼び出されて何かを叱られてみたり。

今となってはブロックされてしまった同級生の友達と、無理して「親友」とやってみたり。なのにその子と2人だとうまく話せないの、怖くて。相性悪かったのに不思議だなぁ。


本当に、嫌われたくないとか孤立したくない、気持ちが強すぎたんだと思います。


あ、4年生の時仲良しの女の子が男の子にいじめられて(遊び程度?でも本人は嫌がっていた)、仕返しにその男子の靴を隠しました。

最低、やり方があるだろうよと今なら思えます。

もちろん帰りの会で問題になりましたが、黙り続けて嘘は突き通しました。

まぁばれてるかもしれないけど。

友達を思うあまりに悪いことをする。

好きだと思うと自分の殻の中に入れて大事にする、かに座の特徴だよなぁと思います。

でも靴は隠したらいかん。


家庭でのことはほぼ覚えていません。

放課後は金管バンドで帰りが遅いし土日も練習でした。

お母さんが当直の日は寂しそうにしていたらしいです。通信簿の先生コメントに書いてありました。


4年生くらいの時、遠征からの帰りが予定より結構早くて1人取り残されたことがありました。

お母さんは友達のところに行っていて、自宅に電話するもお父さんはお酒を飲んでしまっていた。

小一時間かな?学校の正面にある小さな駄菓子屋さんの前で泣きながら待ちました。学校ももう暗いし誰もいない。

とても怖かったし寂しかったです。

お母さんには平謝りされましたが、今思うとお父さんがクズすぎた。お母さんの友達の家に電話くらいすれよ、酒飲んでてもチャリとかで迎えに来いや。


6年生終わりの頃。

家族会議が開かれました。離婚すると。

お姉ちゃんは高校3年生で公務員試験に全落ちしていたところで恐らくストレスピークだったようで、家族会議中にテレビを見始めるという現実逃避をして正義感の強いお兄ちゃんが怒っていたのを覚えています。

可哀想に。お姉ちゃんは結局いいとこに就職しました。


母と父どちらに着いていくかと聞かれて子ども3人全員お母さんを選びました。

そりゃそう。うちのお父さんはお母さんが当直の時に置いていってくれたカレーを半分焦がし(かき混ぜなかったから)お姉ちゃんにキレられて逆ギレする人間でした。

後から聞きましたがお母さんの体調が悪い時に「俺の飯は?」とも言ったそうです。

無理無理。


家族会議は地獄みたいな時間でした、多分。

ああいう修羅場みたいなのは本当に私は無理なんです、空気に耐えられない。


小学校卒業式もお父さんは来てなかったんだろうかな?もう記憶がありません。

ちなみにこのお父さんは後に一瞬いい人になります。

離婚後はいい距離感で過ごすことができた気がします。


話がいったりきたりですが、5年生で初めて彼氏ができました。

学芸会の時にカーテン?か何かが何かなってたのを助けてくれた6年生の男子に恋をしました。

向こうは私のことが気になっていたようで、困っているところに声をかけたようでした。


そして理科室かなんかに周りの友達から閉じ込められ告白されました。

当時同級生の友達も6年生の男子と付き合っていたので、その彼のお家でダブルデートをしました。

彼のお母さんがお部屋にきて「紹介して?」みたいに優しく言っていたのが印象的でした。

その後普通にさよならしました。小学生らしい恋でした。


出来事としてはこれくらいかな?

保育園の頃からですが、なにかときっと寂しかったんだと思いました。

こりゃ愛着障害にもなりますよ。

お母さんは悪くないです。女手一つでこの後もやりたいことをやらせてくれました。


小学生編終わり。


大事なことを忘れていました。

5年生の終わり、お兄ちゃんが聞いていた某ロックバンドのソロ活動中だったボーカリストのCDを借りました。

そこからその人にどはまり。

翌年バンドが活動再開をしてからは熱狂的に追っていました。

テレビは録画、雑誌は全部買うし切り抜く。

お部屋は壁から天井までポスターだらけ。びっちり。

今でも大好きなバンドです。

人生をともにしています。