2009/09/20 | Proof of...

Proof of...

祈る神を持たない僕は、ただ言葉の力を信じている。全ての言葉に僕の意味を。

 知っての通り、僕はネクタイと時間に縛られる仕事はしていないから、食べたい時に食べて眠りたい時に寝ている。けれどその日はきちんと朝に起きた。それにしたって別に特別なことではない。たぶん7時くらいだったと思う。
 それからコーヒーを煎れ、ソーセージエッグを作って食べた。洗濯物が溜まっていたし、買い物に行かなければならなかったけれど、窓の外は雨だった。僕は酷く憂鬱な気持ちになった。僕の家は、洗濯物を室内干しできる程の広さはないのだ。それにスーパーマーケットまでは少し遠い。買い物ついでの散歩だと思えば心地のいいものだが、雨の中を濡れて歩くのは少々戴けない。
 仕方なく、今日の洗濯と買い物は諦めることにした。何事にも相応しい時期というものがあるのだ。
 まだ朝は早く、特にやることも無かった。仕事は先日大口の依頼を終わらせたばかりで、取り急ぎしなくてはならないものは無かった。
 新聞を郵便受けから引き抜く。雨避けのビニールが被せてあるのに、新聞はしっとり湿っていた。 湿った新聞ほど気を滅入らせるものはないと僕は思う。べとべとした指触りのページをめくったところで、紙面を埋めているのはどうせ動機のある殺人か動機の無い殺人か、はたまた煮えきらない政治の話なのだ。
 僕は明日の天気予報と経済面にだけさっと目を通して、新聞を机に放った。
 新聞もあてにならなかったせいで、僕は完全に時間を持て余してしまった。時間はまだ9時を過ぎたところだった。こんな時間に僕を訪ねて来る人間はいないし、僕だって訪ねて欲しくは無い。
 そもそも僕を知っている人間が、この世界にどれだけいるだろう。いや、僕もこれまでそれなりに多くの人間と関わって生きてきた。言い直そう。いったいどれだけの人間が僕を認識しているだろうか。
 僕には友人らしい友人もいない。仕事で付き合いのある人間もいるが、恐らく僕は(仕事ぶりに多少の評価はされていたとしても。)取り替えのきく部品のひとつとしか見られていないだろう。
 僕を「特定の一個人として認識している人間」を、僕は数えるほどもあげることが出来ない。
 それはひとつには僕が望んだ結果であって、ひとつにはやじろべえが傾いた結果であった。
 僕はつけっぱなしのコンピュータのオーディオをランダム再生にして流した。こんな時アナログ盤のレコードでもあれば恰好が付くのだけど、今時装置とレコードを集めるのも一苦労だし、昔の音楽を僕はあまり知らなかった。その分ステレオには気を使っていて、僕の持つものの中では一番高価なものだった。
 僕は読みかけの小説を取り出して読み出した。自分ではなかなか本は読んでいる方だと思うが、それは題も作者も聞いたことがなかった。
 僕はふと、この世界に生み出されてから誰の目にも止まらず書棚の中で褪せていく一冊の本について思った。人類の歴史とともに増え続ける莫大な量の書物に埋もれて、その一冊は殆ど無価値になってしまった。
 まるで僕みたいだ、と思った。
 その本のように、僕は誰にも読まれ理解されることもなく、静かに朽ちていくだけの存在なのだ。
 それは少々寂しいような気が、僕にでも感じられた。この世界でひとりで生きていくことは、実は案外簡単なことなのだ。
 妻が夫のためにサラダを作る描写は賞賛に値するものだったが、それ以外に特筆して面白いところの無い話だった。それでも時間を持て余した僕にはそれなりの充足感があった。
ふと空想に耽る。遠い昔に忘れたと思っていた。彼女が振り返る。笑顔は優しく、伸びた肢体は窓からの日差しを受けて輝く。出来る影が、彼女の体の隆起をなまめかしく魅せる。出来上がったサラダをお気に入りの青のボウルに盛って、テーブルにそっと置く。動きのひとつひとつに、金色の埃が舞って、それがまるで不可侵の儀式のようだった。
良くもそんな何でもない場面を覚えているものだと、内心で自嘲する。しかし悪くない思い出だ、とも感じていた。
いつの間にか晴れ間が射し始めた。ふと目をやった新聞の一面は、難しい分娩を乗り越えた母親に抱かれる赤ん坊の記事だった。
部屋中を満たす光に、金色の埃が舞っている。洗濯機を盛大に回して、僕は買物に行くことにした。何か、少し苦しいような、それでいて突き上げる何かが胸を満たしていた。

アパートの階段を降りる。地面まであと十八段…十六…十…────そう。彼女と出会うまで、あと───