「屋根の上には新しい世界がある」
そんなことを真顔で言ってのけた遥が死んだのは、二十一歳の秋だった。この夏が終われば、もう一年になる。
見る者誰もが振り返るような美人では決してなかった(と、僕は思う。そもそも人の顔の良し悪しに関心は無いのだ)。だけど、初めて彼女を目にしたとき、僕はまじまじと見つめることになった。それは彼女の奇妙とも言える立ち振る舞いに起因するのだが、ともかく、そのときの彼女は木漏れ日の作る光の筋のように、または砂漠で迷い困り果てた商人の前に現れたオアシスのように、美しくおぼろ気で、何より魅力に溢れていた。
国立の駅から東に暫く歩くと、小さな本屋がある。時代に取り残されたようにひっそりと建つその店内には、種類の少ない週刊誌と婦人誌、子供向けの漫画。そして残りの棚全てに絵本が詰まっていた。それは古今東西を問わず集められ分類されず、言ってしまえば雑多に、もう少し上手い言い方をするなら、宝の山のように存在した。ぱっとしない外観の店だが、もしかしたら絵本好きには有名だったりするのかも知れない。
店内にはアルバイトらしき学生風の女の子が一人、暇を持て余しながら店番をしている。彼女の欠伸ひとつ、投げ出された足のひとつに、誰にも無条件で優しい日曜の午後の温度が見て取れる。
白茶気た壁に、白く褪せた青い屋根。店番の可愛い女の子と、夏の抜けたような青い空。まるで8ミリで取った青春映画みたいだ。
そうか、なるほど。
遥はきっと、こんな屋根の上に新しい世界の予感を見たのだろう。
遥を失って、青春を失って、僕は初めてそのことに気付けたのだ。
僕はなんて愚かで、救われないのだろう。
そして、果たして、遥は救われたのだろうか。
屋根の上の世界に、彼女の求めたものはあったのだろうか。
小さな花柄の紫のワンピースを翻し、彼女は踊る様に歩く。
場所はどこかの河原の草原で、日曜の午後特有の強すぎない陽が、逆光気味に彼女を包む。
少し汗ばんだ肌がその光をみずみずしく照り返す。
時おり強い風が通り抜け、彼女は帽子を押さえ、正面からその身に風を受ける。
「新しい世界」と名付けられた、無音の8ミリ映画。
口から上がフレームアウトしていて彼女の顔は分からないが、魅力的な唇が愉しげに笑っている。
しかしその声は誰にも届かない。
あの良く通る歌声を、僕はもううまく思い出すことができない。
その映像があまりにも鮮明に記憶に刻まれているせいで、遥の顔さえ思い出せない。
死んでしまった。
遥が死んでしまった。
僕は今日、それがやっと理解できた。
高くなった陽が、黒々とした影を作る。
その光と影のわずか8ミリの境目で生きている僕らは、たった一歩踏み外せば、堕ちて行くのは簡単なことなのだ。それを知っているからこそ、遥は屋根の上の新しい世界を目指したのだ。
そこは全身で陽の光を浴びることができる、暖かくて明るい場所。
その世界へ、遥は8ミリの細い細い道を、お気に入りの紫のワンピースと一緒に、踊るように、しかし注意深く歩いていったのだ。
けれど、“たった一歩踏み外せば、堕ちていくのは簡単なことなのだ”
今や、彼女は忘れられた8ミリテープの中でくるくる回り続けるしかない。どこにも行けない。出口が無いのだ。
僕と言えば、この古い絵本屋の前で、立ち尽くし、涙を流すだけだった。
そして、遥に此処で初めて出会った時のことを思い出していた。
あの時も遥は、アスファルトに落ちた電線の影を踏んで歩いていた。
僕の記憶は、その時の空気の色すら鮮明に覚えている。
なのに、遥の顔が思い出せない。遥の声が思い出せない。
カタカタカタカタ…と、僕の頭の中で映写機が回り続ける。