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厚い雲が微妙な加減で空を覆っているせいで、今が真昼なのか夕に近いのか、彼には分からなかった。
コートを着て歩くにはいささか暖かすぎ、かといって脱ぐと肌寒い。
太陽の位置は分からない。
風は吹き溜まって生温かい。
草木は色褪せてくすんでいる。
排気ガスの臭いとひといきれが混じって嗅覚を麻痺させる。
時計を模した観覧車が、秒針の代わりに間の抜けたネオンを灯す。
つまるところ、彼の気分を変えてくれそうな物はなにもなかった。
ぐるぐる。
その観覧車の建設工事は突如始まった。瞬く間にその幹を伸ばし、枝葉を広げ、まだ乾いた風の吹く街の空に大輪の花を咲かせた。
高層ビルに届くほどのそれは、正面がネオンで輝き、ワゴンの点滅が秒刻みで流れていく。シャフトのライトが時針と分針を示し、この街の何処からでも時間を見て取ることができる。
それにしても似合わない、と彼は思っていた。新聞紙でデコレートした花束みたいだ、とも思っていた。もしかしたら、誰かには芸術に見えるのかもしれない。
「全く似合わない。」
彼は声に出して言ってみた。それでも観覧車は自分から街の風景に溶け込む気はないらしい。
そうして、観覧車は、この街の時間を支配した。
二月のはじめのことだった。
一時は街を賑わせた観覧車も、一ヶ月も立てば飽きられて単なる時計塔と化した。それでも毎日空のゴンドラをぶら下げたまま周り続ける。
彼はそれを東側の桟橋から眺めていた。
気付けば日は暮れている。蛍光灯のスイッチを切ったように、夜は突然やってくる。人々の疲れ、気だるさが闇に漂って、街は霞の中でうなだれている。
家に帰れば更に暗い部屋が待っている。
慣れ親しんだ部屋は目をつむっても歩ける。
床には脱ぎ捨てられた服が散らばっている。
古着のバンドティーシャツ。
パタゴニアのダウンジャケット。くたびれたニットセーター。
「今日はどうだい?」
「今日も今日だったよ」
自分の脱け殻に答える。
まだ何か続けようとするそれに、脱いだボアコートを投げる。
冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出し、グラスに注ぐ。
綺麗に泡を作れたためしはない。
音の無い部屋に、気泡が鳴る。囁くように。
彼はそれに応えるように、一気に飲み干す。
喉を落ちる鋭さが、彼が今日唯一感じた感覚らしい感覚だった。
そんなふうに今日が終わり、明日が今日になる。繰り返す。何度も。
ぐるぐる。
カーテンの隙間から見える空は、やはり雲が覆う。
閉ざされている街。
単調な音楽のリピート。
覚めない悪い夢。
春が来れば誰もが忘れてしまう、季節の狭間の夜。
名前の無い熱が、煙と灰になった。
それを見届けた彼は、ようやく今日を終えたようだ。
ベッドに横たわる彼は、スイッチを切ったように深い眠りへと落ちていく。