三月十六日 | 蜻蛉日記

蜻蛉日記

サブカル女子の若き日の記録。

11日の大地震から5日経過しました。

未だにテレビを見てると、本当にコレは日本での出来事なのかと信じられないくらい衝撃です。




私は11日、面接が2社あったので、池袋→府中と移動予定でした。


池袋での面接が一段落し、某ビルの地下一階でお昼を食べていたところ

急に大きな揺れに見舞われました。

初めはやや大きめな地震だな、くらいにしか思わなかったのですが

徐々に揺れは激しくなる、しかも長い。


これはいかん!と思い、若者達のパニックに巻き込まれながらとりあえずビルの外へ出ました。

外の高層ビルがユラユラと揺れているのを見て、これは何時に無く大きな地震だったなァと思いました。


そして府中へ向かうために池袋駅へ行ったところ、電車・地下鉄共に全線ストップ。

しかも復旧の目処は全く立っていないというアナウンス。

しかしテレビ等の情報を見ていなかったので、イマイチ状況を把握できていませんでした。

いつもの様に、最高でも1時間待てば復旧する程度のモノだろうと思ってました。


とりあえず次の面接に遅れる旨を連絡しようと思いきや、全く携帯通じず・・・

公衆電話の行列に並び、面接を延期してもらえることをなんとか伝えることができました。



そして、まだ日本の現状が分かっていなかった私は、帰宅しようと池袋駅で電車を3時間待ちました。

しかし一向に復旧のアナウンスは流れず、むしろ終日運転休止というアナウンスまで聞こえてきたため、

とりあえず外に出てみることに。

その頃もう18時を回っていたのですが、タクシーの200人以上の行列や周辺の混雑を見て、

ようやくとんでもないことが起きてることに気づき始めたのです。



携帯が使い物にならず両親にも連絡が取れなかったので、とにかく帰宅せねばと思い、

池袋から徒歩で新宿まで歩きました。多くの人が歩いてたので、新宿まで出れれば帰れるのではと思い

歩くこと1時間ちょい。父からのメールがあり、JRや私鉄、全ての電車が動いてないことを知りました。


運良く親戚が新宿区に住んでいたので、そこに連絡をとってその日は泊まらせてもらいました。

面接が次の日に延期だったので、ほんとに助かりました。


そしてその親戚の家で、岩手・宮城・福島等の被災地の状況をテレビでようやく見ました。

ゾッとしました・・・津波にのまれる街、燃えてる街。

帰宅出来なかったとか、被災地の人に比べたら、ヘでも無い・・・







とにかく、同じ日本人として今出来ることを精一杯しなければ。

あまりに多くの犠牲が出てしまっていますが、より多くの方の無事を願ってます。



戦後、資源の無い日本が経済大国として世界に認められたのは日本人特有の勤勉さ、一生懸命さがあったからこそ成し得たことだ。というような事を、私の好きな方が言っていました。

今こそ、そういう日本人が一丸となって頑張んなきゃならない時ですよね。

日本の底力を信じましょう。


微力ながら、出来得る限りの協力をしていきたいと思います。