やっぱり一喜一憂してました…
期待…してないつもりだったのに、やっぱりしちゃってたみたいです。
ボヤきです
今日は絵を描けませんでした。
特段、記事に残すほどのこともないのですけれど、要らないツイートをしてしまうくらいなら、こちらでボヤこうと思いまして…。
(見てしまった方には、ごめんなさい。)
寝込んでいた分、家の事したり、外の空気を吸いに出たり、インコに日向ぼっこしてもらったり、アイス食べたり、月を見てみたり、スイートポテト食べたり、色々やってみましたが、気分が落ち込み気味です。
どうして…?
理由は、書きませんがわかっています。
その事に暗雲が立ちこめると、それだけで生活全体が暗くなってしまいます。
そういうのは良くないことです。一種の依存の始まりです。だから一喜一憂は良くないんです。
でも今、気持ちを持て余してしまっているのが現状です。どうしようもなく哀しいです。
(こういう時は、思い切り泣いて、ケロッとするのがいいのですが、それも出来ずに悶々としてしまっています。良くないんです。)
明日ケーキを食べよう!と浮かれようとするのですが、一緒に食べる人がいないと寂しいのです。
(以下追記)
ん…待てよ、もしいたとしても、その人が自分のことを見てくれていなかったら、やっぱり寂しいです。
つまり、相手に期待しているうちは寂しいんですね…。
期待しないというのは、本当に難しいです。夢も希望もないのと近いですからね。
般若心経の
「不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中
無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得」
の部分を思い出しました。
でも、ちょっと思いついたのですが、相手に期待する(ただ座して待ち、なんでしてくれないのだろう( ˘•ω•˘ )と思う)のではなく、相手を信頼することができれば、大丈夫なのでは?、と。
私は“してもらえないこと”やその理由ばかり考えていましたが、既に“してもらったこと”や、もし自分がお願いしたらきっと可能な範囲で“してくれる”だろう(無理なら断ってくれるだろう)ということに目を向けたら、希望が見えてきた気がします!
(さっきから繰り返し言ってる「してくれる/くれない」というのは、具体的に“何か”をという意味ではありません。)
やっぱりケーキは、一緒に食べる人にいてほしいです。
「一緒に食べていただけませんか?」と聞きたいけれど、聞けないの。(いえ、実際のところ、こちらからお聞きするつもりは毛頭なくて)そして、それは私の中の問題なのです。