復興は、これからが本当の勝負。 | エンパワーメントパーソン佐野哲史の航海日誌

復興は、これからが本当の勝負。

みなみなさま

たいへんご無沙汰しています。佐野哲史です。
だいぶ久しぶりにブログを書きます。ここ最近はすっかりツイッターに乗り換えてしまって、ツイッターを基盤に、Facebookやmixiと連動させていました。

ただ、ちょっと、ゆっくりめにいろいろ考えをまとめたい衝動に駆られまして、久しぶりにブログを更新することにしました。


$エンパワーメントパーソン佐野哲史の航海日誌-気仙沼・大島地区での一枚。

いま、僕は東日本大震災の復興支援の仕事をしています。
今日は1月11日、発災からちょうど10ヶ月経過した日です。

僕自身は3月17日から宮城県に入り、立場は多少変化したものの、以来継続して復興支援の現場にいるわけですが、率直に言わせてもらえば、東北の復興は、いや、復旧でさえも、まだまだまったくの途中であると言わざるを得ません。

僕は東京の出身ですから、友人知人が多く東京にいます。しかしそのみんなを経由して感じられるおおむねの雰囲気が、「東北ってもう復興したんだよね、大丈夫なんだよね」というものです。東日本の一角・東京でさえこんな雰囲気なんですから、関東より西の地域ではだんだん忘れられていっているんだろうなと思っています。

僕は現場にいますから、そんな雰囲気を残念に思います。
でも、逆の立場だったら、つまり、現場から離れたところに暮らしていたら、リアルなことは全く伝わってこないわけで、そんな雰囲気になるのがむしろ当然だとも思っています。

だから、現場にいる僕の役割は、逆に大事なんだと思います。

東北のことが、ニュースであんまり報じられなくなったとしても、いや、取り上げられたとしても放射能のことだけ強調されてしまったり、安っぽい感動ドラマの形に加工されてしまって、正しく被災地の現状が伝わりにくい状況に今後どんどんなっていったとしても、そんなことに動じずに、少なくとも自分とつながっている人々に粛々と正しい現状を伝え続ける存在でありたいと思っています。

そして、メディアを通じた情報量に左右されない、真の人と人とのつながりを、被災地とほかの地域の間に少しづつ紡いでいって、息の長い復興につなげたいと、10ヶ月目の今日、改めて決意しました。


現場にはいるものの、被災した当事者ではない僕にできることは、実はそんなに多くはありません。
しかし、歯を食いしばって立ち上がろうとしている地元の方々と共に考え、共に汗をかくことはできるし、その過程で「よそ者だからこそできること」に出会って力を尽くすタイミングもあるとは思います。そのタイミングが来るまで、何とか腰を据えて現場に居続けたいと思っています。

東北の復興には、時間も、お金も、資源も、人の力も、まだまだたくさん必要です。
でも、「たくさん」必要だからと言って、直接たくさん投入しすぎないでほしいのです。
例えば、僕みたいな、地元の方々のそばにいる人間が、「いまです!いまこのタイミングで応援してください!」と合図を出しますから、そのときに応援をしてもらえたらありがたいのです。

復興は、地元の人が主役です。
その主役のチャレンジを、さりげなく支えていて、タイミングによっては外から応援団を連れて行って復興を加速させられるような、そんな脇役をめざしたいと思います。


いま、僕には、宮城県全域で復興の担い手たちの中間支援に取り組む「みやぎ連携復興センター」事務局長という顔と、南三陸や多賀城といったエリアの地域コミュニティを直接支援する「復興応援団」代表理事という2つの立場があります。しかし、いずれの立場ででも、同じスタンスで力を尽くしたいと思っています。

これから本当に始まる、地元の人中心の復興を、ぜひ長い目で応援してください。
僕は、みなさんよりも少しだけ現場に近いところで汗をかき続けることにします。
また、折りを見て、いろいろ報告させてください。

2012年、新しい年になりましたが、本年もよろしくお願いします。