
私はお父さんみたいになっちゃいけないって思ってたこと 

私があることで何度も何度も苦しんでいて何故何度も繰り返し目の前に現れるのか
私の中にもきっと同じものがあるからだろうなそれは過去生の自分がやってたことなのかとか考えてたけど
最近それを考えた時思い出すことがあった

それは看護学生の時に夏休みに帰郷してた時のある日の出来事

父と知らない女性 そしてその女性がだく産まれて間もない赤ん坊
母が居ないかのごとく父の元へ走り込んできた女性の幸せな表情と母としての覚悟
私と母には背中を見せその背中を丸め小さくなりながらも嬉しそうにウンウンとうなづく父の横顔
その2人を後ろから怖い顔で息を殺し見てる母
その記憶が蘇ってきた

お父さんは自由で好きなことをして農業をしてたが働くことは好きではなく家にはいないことが多かった だからお母さんが男みたいに働いて私たちを育ててくれた
でも人当たりは良く愛嬌があって地域別の子どもの行事があれば率先して参加してた子ども達に人気があった
子どものソフトボールの大会では監督をして目立たない上手くない選手になれなかった子供にもちゃんと打つ機会を与えてあげてた 正義感があってみんなの幸せのためにと草の根の活動をしてた 私はそんなところは子どもながらに尊敬してた

家では良く怒鳴って私が小さい時はお母さんは良く泣いてた

お母さんはよくお父さんのことをいない方がいいって子供たちに話してた
大好きなお母さんを悲しませてる苦しませてるお父さんみたいになっちゃいけないって思ってたんだ

自由で好きなことだけしてワガママで自分勝手で働くのが好きじゃなくて迷惑かけて本当は小心者でプライドが高くて
そして自分の中にお父さんと同じような所があるのがわかってたから余計にそんな自分をみないように生きてきたんだと気づいた
お父さんみたいになっちゃいけない
本当の自分を出しちゃいけない
一生懸命働いて嫌なことでも頑張って好きなことはしちゃいけないしわがままは言っちゃいけない

でも今思うとお母さんはそんなお父さんが好きだったから今も一緒にいるし文句を言いながらもそんなお父さんを支えるのが好きだったのかも知れない
そんなお父さんにはちゃんとお母さんという人がいて支えられ愛されてたんだと思う
今思い出せるのはお母さんの太陽のような笑顔

だから今こうつぶやく
「私はお父さんみたいになってもいい」
初めてその言葉を口に出したら笑ってしまった 本当にいいの?っていう気持ちから
「私はお父さんみたいになってもいい」
何度もつぶやいてたら楽になってきた

私は自分を自由だと思ってたけど
どれだけ自分にブレーキをかけて自由じゃなかったんだって今は思う

自由とはそのままの自分を由(よし)とすること
やっと今その言葉の意味が本当に わかるようになった

そのままの自分がやっとわかった やっと認めてあげることが出来た

「私はお父さんみたいになってもいい」
そう思ってることをお父さんに言えたらいいな

読んでいただきありがとうございました
