この世界はダンスホール


あなたが主役のダンスホール


You know? その笑顔が僕だけの太陽


君が笑える為のダンスホール


(Mrs.GREEN APPLE「ダンスホール」より)



「楽しんだもん勝ち」という言葉があまり好きではなかった。


誰が言うかにもよるだろうが、都合の悪い真実を塗りつぶしてしまうような強引さに少し弱肉強食の匂いがしたし、何よりその一方的な感じが馴染めなかった。


ところで、先日、小学校の器楽部の活動のサポートにスポットで入った。


上記の「ダンスホール」という歌は、その時に練習していた課題曲のうちの一曲だ。


このダンスホールの中にも「楽しんだもん勝ち」という歌詞が出てくる。


器楽部の練習に歌はないのであるが、後で原曲を聴き返してみて、その「その楽しんだもん勝ち」はそんなに自分の中に違和感を感じさせなかった。


時代の進化というのもあるのだろうか。


スポーツで言えば、その進化は、懐の深い構えから多彩な返しができるようなもので。


進化、深化を拒否すれば、表面的なところにだけ反応して「前と言っていることが違うじゃないか!」となってしまうのではないか。


ところでたいがいの男性は美人の女性に弱い。


そこに理想を重ねてみたりもする。


中国にはかつて纏足(てんそく)という文化があった。


足を成長させないように小さい頃から女の子の足を布で巻くのだ。


女性はゆらゆらと儚(はかな)く可愛いのがいいという思いの投影ではなかったか。


今のようにハイヒールを脱ぎ捨て、走り出す自由はない。


権力者の男性が美人の女性を囲う、というところからできた文化ではなかったかと想像している。


社会が表面的なことに寄せられてしまう一つの原因を作っていたかのようにも思える。


ある意味、楽しんだもん勝ちの成れの果てといった感じだろうか。


齢を重ねてくると、美人にも中身のキツい人はわりと多く、そういうところでバランスが取られているのだろうかと思えてくる。


ひたむきな少年の姿に女性があらためて魅せられていくことを歌った「少年」が自分に響いた背景にはこんなことがあるのではないだろうかと思ったこともあり、こんな話を書いた。



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