五万石でも岡崎様は
アー ヨイコノシャンセ
お城下まで船が着く
ションガイナ
(民謡「岡崎五万石」より)
三河の山地が平野に出会うところ。
山地で大軍は動かせませんから、戦国の世においては、山地を背にしていることはそれなりに安心感があったのだろうと想像します。
その辺りは合流する川に挟まれた場所でもあります。
岡崎には東海道も通っていますけれども、当時の物流の主役は水運でしょうから、船で入っていけたことが大きかったのでしょうね。
こういうことはお城に登ってみるとよくわかります。
徳川家康はその岡崎城に生まれました。
尾張の商業に対し、三河は農林業のイメージが強かったのですが、初めて岡崎城に行ってみて少し印象が変わりました。
先の民謡は岡崎城下の繁栄を謳ったものです。
その岡崎の繁栄も江戸時代が進むにつれ、陰りを見せます。
理由は近くを流れる矢作川の氾濫にあったようです。
その対応に藩はお金を使わざるを得なかった。
流れ着く土砂がどうにもならなくなっていたようです。
いくら堤防を高くしても、水位も上がっていってしまいますから、危険度は増していきます。
話は変わります。
「西洋に倣った河川管理は、けわしい山から多くの土砂が流れ込む日本の川にはなじまない。
土砂移動を踏まえた管理に移行していくべきだ」
と、今朝(2024/5/10)の朝日新聞(30面)にありました。
土砂が減ると流路が固定して環境が単調になりやすく、様々な地形を利用してきた生き物の減少につながってしまうと言います。
たとえばやわらかい砂利はアユが卵を隠すのに都合がいいのだそうです。
また水深の浅いなぎさは、アユが大きな魚から逃れるのにもちょうどいい。
すこし蛇行したりしながら、深いところも浅いところもあるのが自然な姿なんでしょうね。
いろんな生き物が戻ってくると、子供たちも遊び始める。
今、京都大阪滋賀三重にまたがる淀川水系では、土砂が動く川を作ることで生物多様性の保全と回復を目指す取り組みが始まっているといいます。
ところで個人的には、今の資本主義社会というのは、地主の権利を守るようなところからスタートしているような印象があるのです。
小作人は流動するでしょうから。
しかし、その土地がどこまで自分のものか、というのはよくわからなかったりするでしょう。
人間以外の生き物はけっこう自由に行き来したりしてますもんね。
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