上手くはいかぬこともあるけれど


天を仰げばそれさえ小さくて


(レミオロメン「3月9日」より)



“つなげる”という意志を持って出したパスは、たすきをつなぐように連動していく。


そういうことは大人になってまた少しサッカーに関わり始めてからわかったことだ。


だからサッカーをやる人の集まりには、どことなくフランクさ(気安さ)がある。


そういうものが基調としてあるがゆえに、局面を打開したり、決定打を出す「個」の力の必要性を強調するところがあるのだろうと思う。


野球にも連打や試合の流れはあるだろう。


しかし、まず「個」としてバッターボックスに立たないことには試合は始まらない。


そういう意味ではカメラで寄りやすいスポーツだろう。


個と個のぶつかり合いは、相手をだまらせるような力の勝負でもある。


ゆえにサッカーよりも多少上下関係を引き寄せやすいところがあるのだろうとも思う。


ピッチャーをやるのはだいたい力のある子供である。


野球をやり始めたばかりの子がバッターボックスに立つ時、少しの緊張とどうしていいかわからない怖さで、足が動かなくなるだろうと思う。


構えるというより、バットを持って立っているという感じだ。


その状態からいきなり打てるものでもない。


慣れないバットの重さもあり、だいたいスイングは波打つ。


言うなれば、いきなり馬に乗って弓矢を射れと言われているようなものだろう。


もう少しスタンス広く、とか、準備を整えて、と簡単なアドバイスを送るのは、安定した土台の上にスイングの水平軌道の部分を確保したいためだ。


少しは弓を引いておかないと力のある球には対応できないだろうとも思う。


しかし、場に慣れ、相手も人間だとわかり、自分の技量も上がってくると、展開が変わり出す。


そして初めてボールがまともに前に飛んだ時。


それは新たな世界が開けた瞬間と言っていいだろう。


一塁に向かって駆け出すその足は、もう何にも縛られていない。


ただただ躍動感がそこにある。



小学校の部活動も今年度の活動を終えつつある。


ところで先日初めて学校で、ドジャースの大谷選手から贈られたグローブがあるのを見た。



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