砂漠の民は、天幕を張って暮らす遊牧民でもある。


しかし他の天幕に隣接して生活することを極端に嫌ったという。


現代のスポーツで言えば、


「お前ら、相手チームと話すな!」


と言ってしまう昔ながらの感じの監督とそのチームに例えられるだろうか。


オアシスからオアシスを渡り歩く遊牧民にとっては、どこに行けば水と緑があるかは生死のかかった問題だ。


一族を率いる族長の絶対的な統率により団結する。


父性の強い感じだ。


そういうところから、アブラハムのことを少し考えたい。


アブラハムの一行が旅に出たのは、アブラハムが神様の声を聞いたからだった。


生まれ故郷、父の家を離れ、私が示す地に行きなさい。


そのようなメッセージだったらしい。


神様の言葉だけを頼りに出発した放浪の旅だったと言っていい。


ある日、アブラハムは何度目かの神様の声を聞いた。


眼をあげて見よ。


見渡す限りの地はあなたとあなたの子孫のものだ。


しかしアブラハムには子供がいなかった。


子孫が繁栄しようがない。


夫アブラハムの悩みを知った妻のサラは自らの召使いハガルを夫に差し出す。


イシュマエルはアブラハムとハガルとの間に生まれた子だ。


イシュマエルは後に外に出されるのであるが、このイシュマエルがアラブ人の祖先と言われている。


イスラム教の開祖ムハンマドもその末裔だ。


その後、妻のサラも待望の赤ちゃんを身籠った。


こうして生まれたのイサクである。


イサクは無事成長していく。


これで安泰だと思ったかどうか。


ここでアブラハムに最大の試練が訪れる。


神様が、山に登りそこでイサクを生贄(いけにえ)に差し出しなさい、と伝えてきたからだ。


アブラハムは悩みながらも神様の言葉を実行に移す。


イサクを縛り、刃物を振り上げた時、


(わかった)


と声が聞こえた。


アブラハムは神様に試されたのだ。


私心の無さと神様を信じることができるかどうかをだ。


イサクはその後成人し、妻を娶ることができた。


こうしてアブラハムは約束の地に土台を残すことができた。


アブラハムの一途と言っていい、その信仰のあり方がイスラエル建国の礎(いしずえ)となったと言ってもいいだろう。



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